Twin's Story 外伝 "Hot Chocolate Time" 第2集
第8話 精通タイム
すずかけ町の有名スイーツ店『Simpson's Chocolate House』の双子の兄妹健太郎(12)と真雪(12)は、4月に地元の公立中学校に揃って入学することになっていた。
入学式の前の日、シンプソン家を訪ねていた海棠親子は、セーラー服姿の真雪を見て、目を細めていた。
「真雪もいよいよ中学生か」ケンジ(32)が微笑みながらコーヒーカップを口に運んだ。
「似合ってるよ、真雪。なんか、すっかりお姉さんって感じだな」ケンジの妻ミカ(34)もそう言って隣に座った小三の息子龍(8)の頭を乱暴に撫でた。「龍もそう思うだろ?」
龍は少し顔を赤くして言った。「いつものマユ姉ちゃんと違う。何だか……」
「ふふ」
真雪は龍に笑顔を投げて、くるりと身体を回転させて見せた。真新しく、プリーツの折り目がきちんと揃ったスカートがひらりと広がった。
「きっと中学校では男子生徒の注目を浴びるぞ」ケンジが言った。
「そうやな。バストも立派になってきたよってにな」ケネスが悪戯っぽく笑った。
龍が不安そうな目を真雪に向けた。「マユ姉ちゃん、中学校で彼氏作るの?」
真雪が龍の隣にしゃがんで肩を抱いた。「作らないよ、たぶん」
「そう」龍は安心したようににっこりと笑って、テーブルのチョコレートに手を伸ばした。
「あのう……」
テーブルのそばに、学生服を着た健太郎が立ちすくんでいた。
「ちょっとぐらい、僕のことも話題にしてくれてもいいじゃん」健太郎は口をとがらせた。
「おお、そうだったそうだった」ケンジが健太郎に目を向けた。「おまえも立派になったぞ、健太郎」
「ほんとに逞しくなったね」母マユミ(32)がケンジとケネスのカップにデキャンタからコーヒーをつぎ足した。「ちょっと見ない間に」
「って、母さん、いつも見てくれてないの? 親なのに……」
一同は笑いに包まれた。
「何か、マユばっかり話題にされてるみたいな気がするんだけど……」
健太郎は面白くなさそうにあぐらをかいてテーブルに向かい、飲みかけていたグラスのジンジャーエールを飲み干した。
『Simpson's Chocolate House』二代目店主はケネス・シンプソン。その妻マユミは、海棠ケンジの双子の妹だ。
ケンジとケネスは高校以来の親友同士。ケネスが部活留学でケンジの高校の水泳部に一時入部していた時に、意気投合した。
ケネスの父アルバートは、腕の良いショコラティエ。大阪人のシヅ子と結婚し、日本で修行した後、母国カナダでチョコレートハウスを開いていたが、息子のケネスが高二の時に、日本にやってきて今のこの店をオープンさせた。
ケンジは大学の水泳サークルで知り合った二年先輩のミカと卒業後に結婚し、地元のすずかけ町のスイミングスクールを夫婦で経営していた。
◆
鈴掛南中学校には、校区内3つの小学校から生徒たちが入学してくる。その中で児童数が最も多い『鈴掛中央小学校』、川沿いにあって体力向上の研究指定を受けている『河岸(かがん)小学校』、中学校にも近く、最も規模の小さな『楓小学校』の三校だ。
シンプソン家の健太郎と真雪は『鈴掛中央小学校』に通っていた。
入学式の日、昼過ぎにシンプソン兄妹は両親ケネスとマユミと共に、花が散り終わった桜並木の奥にある中学校の正門をくぐった。
校地に入ってすぐの所に建っている体育館の壁に貼り出されていた三枚のクラス分け表の前には、すでに真新しいセーラー服と学生服姿の新入生たちが溜まってきゃーきゃー騒いでいた。
「友だち、たくさん作るんやで」ケネスが真雪を抱きしめ、頭を撫でた。
「ちょっと、パパ、やめてよ。こんな所で。恥ずかしいでしょ」
健太郎と真雪は小走りで駆けて行き、その人混みに分け入った。
「あ、健太郎くん」一人のほっそりした女子生徒が、健太郎の姿を認めて微笑みかけた。
「やあ、恵子ちゃん。早かったんだね」
「健太郎くんは一組だよ」
「そうなの?」健太郎は貼り出されていた一組の名簿に目をやった。「ほんとだ」
「あたしは三組」その少女は少し悲しい顔をした。「健太郎くんと一緒のクラスになりたかったな……」
「あたし一緒だもん!」すぐ後ろから弾けた声がした。健太郎は振り向いた。「あ、真紀ちゃん」
「あたしも一組だよ。これからもよろしくね」その小太りで背の低い少女は笑顔を弾けさせた。
「外国人がいるのか?!」
名簿のすぐ前に立って、偉そうに腕組みをした短髪の男子生徒が大声を出した。「シンプソンってやつがいるじゃねえか」
「シンプソンって言ったら、シンチョコのことなんじゃね?」
その生徒の隣にいた友人と思しき男子もその名簿を見上げて言った。
そのまた隣にいた女子生徒が二組の名簿を指さした。「あ、こっちにもいるよ、天道くん。シンプソンって子。こっちは女のコみたい」
天道と呼ばれたその男子生徒は手を腰に当てて、その女子が指さした所に目をやった。「ほんとだ。双子なのかね……」
健太郎は横にいた真雪の耳に囁いた。「マユ、おまえ、二組らしいな」
「そうみたいだね」
◆
体育館で行われた入学式では、100名余りの新入生がかしこまってステージ上の演台を凝視していた。髪の薄い、太った教育次長が、眼鏡をずり下げ、原稿を食い入るように見ながらお決まりの文面の祝辞を読み終えた後、健太郎はあくびを咬み殺して数回瞬きをした。
「新入生代表 誓いの言葉」
司会の教師の声の後、威勢良く自信たっぷりに「はい!」と返事をして立ち上がったのは、さっき名簿の前で偉そうにしていた男子生徒だった。
健太郎は眉をひそめた。「あいつが、代表?」
その生徒、天道修平はマイクの前で、手に持った原稿に一度も目をやることなく、舞台上の校長に向かって、少年らしい元気な声でよどみなく『誓いの言葉』を言い終わり、丁寧にお辞儀をしてマイクを離れた。
入学式後の学級開きで、新入生は一人ずつ自己紹介をさせられた。
「中央小学校出身のシンプソン健太郎です。水泳をやっています。よろしくお願いします」
健太郎は緊張しながらそう言って、ほっとした様子で椅子に座り直した。
クラス内でひそひそ声が聞こえた。「なんでシンプソンって名前なのかな」「外国人には見えないけど……」
健太郎の列の最後尾に座っていたのが、あの天道修平だった。彼は自分の番が来た時、待ってましたとばかりいそいそと立ち上がり、椅子を机に押し込んでから大声でしゃべり始めた。
「天道修平っす。河岸小学校から来ました。剣道が得意で、中学校でも剣道部に入ります。トマトが好きなんで、給食で出た時、苦手な人は俺に与えてください。よろしくお願いしますっ」
クラス内に笑いが起きた。窓際に座った担任教師も口を押さえて笑いを堪えていた。
休み時間は、図らずも出身小学校ごとの人の固まりができていた。
健太郎は、廊下で鈴掛中央小学校出身の生徒の集団の中心にいた。
「健太郎くん、学級委員長になるんでしょ? 当然」一人の女子生徒が言った。
「健太郎は賢いしな」すぐ横にいた男子生徒が健太郎の肩を叩いた。
そこへ、修平がやってきた。「おまえ、なんでシンプソンって名前なんだ?」
唐突なその質問に、一瞬あっけにとられた健太郎だったが、そのにやついた修平の顔を正面から見据えて言った。「父さんの名字がシンプソンだからだよ」
「おまえんち『シンチョコ』なのか? もしかして」
「そうだよ」
「へえ」
修平はそれだけ言うと、そこを離れ、教室に入った。彼の周りにはすぐに友人の輪ができた。
「修平、学級委員長に立候補すんのか?」修平のそばにいた男子生徒が健太郎のグループの方をちらちら見ながらそう言った。
「やれ、って言われればやるけどな」
次の時間、クラスの組織決めが行われた。
「よし。じゃあ、最初に学級委員長から決めよう!」担任が無駄に大声で言った。「誰か立候補する者はいるか?」
一瞬の後、クラス内がざわめいた。そして生徒たちの目が教室の後ろに座っている天道修平に向けられた。彼はまっすぐに手を伸ばしていた。
健太郎も意を決して右手を高く挙げた。
またクラス内にざわめきが広がった。
「おお、いいね。二人もいるのか。立候補者」担任がひどく嬉しそうに言った。
「俺、下ります」すかさず修平が叫んで上げていた手をすっと下ろした。
「え?」担任が意表を突かれたように顔を上げた。
今度はクラスの中にどよめきが広がった。
「なんで? いいじゃん、修平、やりなよ」隣に座った女子生徒が修平に耳打ちした。
「いや、下りる。先生、学級委員長はシンプソンくんがいいと思います。みんなの人気者だし」
健太郎はそれを聞いて、胸にもやもやしたものが広がっていくのを感じた。
「嫌味なやつだな……」健太郎の前に座っていた、同じ中央小学校出身の生徒が振り向いて、健太郎に囁いた。
「よし。じゃあ、学級委員長はシンプソン君でいいな? みんな」
生徒たちは拍手をした。
「自ら進んで手を挙げてくれた天道君には、別の意味でとても重要な学習委員になってもらおう。それでいいか? 天道君」
「いいっすよ」修平は両手を頭の後ろに組んで反っくり返った。
「修平、頭いいからな」隣の男子生徒がみんなに聞こえるように言った。
「うっせえ! 余計なこと言うな!」修平は大声で言って、その生徒を睨んだ。
◆
放課前の短いホームルームの時間が終わり、一組の生徒たちは一様に気疲れした顔で教室を三々五々出て行った。
教室の後ろで荷物を片付けていた健太郎は、廊下に出た修平が一人の友人に話しかけているのを聞いた。
「おい、いいもん見たくねえか?」
「いいもん?」
「いいカラダしてる女子がいるんだぜ」
「へえ」
「二組にな、巨乳の女子がいるんだ」
健太郎はそれを聞いて思わず眉を寄せた。
修平と数人の男子生徒が、生徒用の玄関を出た所に溜まっているのを健太郎は見つけて、靴箱の陰に身を潜めた。
二組のホームルームの時間が終わって、生徒たちが生徒用玄関にやって来た。その中に健太郎の双子の妹、真雪もいた。健太郎は彼女の姿を目で追った。同時に外で待ち伏せしている修平たちの様子もうかがった。
「ほらな、見てみろよ。なかなかだろ?」修平がにやにやしながら小声で隣の男子生徒に話しかけた。
真雪は同じ中央小学校出身の女子生徒と二人で玄関を出た所だった。
修平たちの一団はそれをじっと目で追った。
白い歯を覗かせた、いやらしい目つきの修平を見て、健太郎の胸に熱いものが沸き上がってきた。
健太郎は、そこに鞄を放り出し、靴も履かずに表に飛び出して、修平に飛びかかった。
「な、何だ、おまえ!」修平は慌てて叫んだ。
健太郎は修平をその場に押し倒して馬乗りになった。
「妹をいやらしい目で見るな!」
健太郎は修平の胸ぐらを掴んだ。
修平はその健太郎の手を力任せに振りほどき、叫んだ。「何しやがる! 俺たち何もしてねえだろ!」
「うるさい!」
健太郎は修平の肩を押さえつけた。
修平は健太郎の身体を突き飛ばし、拳で殴りかかった。「優等生ぶるんじゃねえよ!」
騒ぎに気づいた真雪は驚いて振り向き、叫んだ。「ケン兄!」
生徒用玄関は騒然となった。帰宅しようとしていた生徒たちは、遠巻きに二人の激しい殴り合いを見ているだけだった。
◆
保健室の椅子に座らされた修平の頬にガーゼを当てながら、中年の養護教諭が強い口調で言った。「あんたたち、ばかじゃないの?!」
修平の横には、顎と額にやはりガーゼを当てられた健太郎が憮然とした表情で座っている。
「入学した日にケンカしたのはあんたたちが初めてよ! 新学期早々いきなり仕事増やさないでくれる?」
養護教諭は修平と健太郎の頭を平手でぺしぺしと叩いた。
修平たちの前には、腕組みをして厳しい顔をした彼らの担任が仁王像のように立っている。
「まったく、何が原因なんだ?」
「俺が、こいつの妹の胸を観賞してたら、いきなりこいつが殴りかかってきたんす」
「胸?」
「はい。でかい胸だなーって」
担任は呆れたようにため息をついて、次に健太郎を見下ろした
「シンプソンは、なんで天道に?」
「妹をそんな目で見られるのがいやだったんです」健太郎はうつむいた。
「お互い様だわね」養護教諭が言って、遠慮なく大きなため息をついた。
「きっかけはともかく、お互いに殴り合って、同じように顔を腫らしているわけだし……」担任もため息をついた。「二人の家には電話しとく。君たちも自分の口で事実を説明しとけよ。わかったな」
健太郎も修平もお互いに顔を背け合ったまま黙ってうなずいた。
「今は興奮してるから、お互い謝りたくはないでしょうけど、」養護教諭が二人の間にしゃがんで、交互に健太郎と修平の顔を見ながら優しく言った。「今からお互いのいい所を見つけるように努力して、近いうちにちゃんと謝るのよ」
「はい……」健太郎だけが小さく返事をした。
養護教諭は腰を伸ばした。「あんたたち、きっといい友だち同士になるわ。そんな気がする」
そして彼女は笑って、二人の肩を同じようにぽんぽんと叩いた。
先に保健室を出て行った修平の姿が見えなくなったのを確認して、健太郎は立ち上がった。「すみませんでした。迷惑かけちゃって……」
「また明日な」担任は笑って健太郎を見送った。
健太郎が生徒用玄関を出た時、不意に声がした。「悪かった」
「え?」健太郎は声のした方を振り向いた。
照れたように頭を掻いた後、修平はすぐに小走りで駆け去って行った。
(後編に続きます)