Twin's Story 8 "Marron Chocolate Time"

《1 熱い夏》

 

 ――7月。『熱い』夏がまたやってきた。

 

「おい、ケンタ、」

「なんだ」

「おまえ、今度のブロック大会、どうなんだ?」

「どうって?」

「入賞できそうなのか?」

「どうかね」

 

 すずかけ工業高校水泳部キャプテン、シンプソン健太郎は放課後、工業化学科クラスメートの天道修平と一緒にいた。修平は健太郎の中学時代からの親友で、現在剣道部の主将だ。

 

「そういうおまえは? 修平」

「団体戦は無理かもな……」

「なんで?」

「今年のチームはちょっと脆弱なんだ。で、水泳部、女子チームはどうなんだ? 真雪とか」

「マユも県では上位だがブロックレベルじゃないからな。まあ、やってみなきゃわからないけど」

 

 彼らの最後の正式試合、高校総体ブロック大会を間近に控えて、健太郎とその双子の妹真雪は水泳、修平は剣道の最終調整を行っている時期なのだった。

 

 

「どうして私がこんなところにいなければならないの?」

 眼鏡を掛け、昭和の頃なら典型的な「おかっぱ」と称されるような古風なボブカットの見た目おとなしそうな女子生徒が、隣にいるポニーテールで栗色の瞳をした友人に言った。ここは高校の剣道場だ。竹刀の激しくぶつかり合う音で、二人の会話は困難を極めていた。

 

「だって、修平、かっこいいじゃん」

「いや、だからどうして私が、」

「あんたもそう思わない?」

「そうね……」眼鏡少女は、さして関心がなさそうに男達が竹刀を振り回す姿を眺め直した。「まだ伝えてないの? 夏輝の気持ち」

「え? 何だって?」その夏輝と呼ばれた生徒は耳に手を当てた。

「伝えてないの? 修平君にっ、あなたの気持ちをっ!」

「だって、恥ずかしいじゃん」

「『恥ずかしい』? あなたに恥ずかしいなんていう感情があったのね」

「え? 何か言った?」また夏輝は耳に手を当てた。

「何も」ボブカットの友人はため息をついた。

「真雪も今頃、泳いでる頃かな」

 

 同じ情報システム科クラスのシンプソン真雪とは中学時代から仲の良い日向(ひむかい)夏輝は、剣道部主将の修平に『ほの字』だった。さっきから横で遠慮なく迷惑そうな顔をしているおかっぱ少女は、デザイン科クラスの月影春菜。

 夏輝と真雪は高校に入学して間もない頃、体育の時間に見かけた、あまりのおとなしさ、あまりのまじめそうなオーラでなかなか友だちを作れないでいた春菜を半ば無理矢理友だちにしてしまったのだった。

 

 

 その夜、修平と健太郎は電話で話していた。

 

「おまえ、知ってた?」健太郎が切り出した。

『何を?』

「おまえに告白寸前の女子がいるって」

『は? 知らねえよ、そんなの』

「鈍いやつだな」

『悪かったな』

「気になるか?」

『当たり前だ。そんなこと言われて気にならないわけねーだろ』

「夏輝だよ、夏輝」

『はあ?!』修平は持っていたケータイに向かって大声を出した。健太郎は思わず自分のケータイを耳から遠ざけた。

「おまえ、気づいてなかったのかよ」健太郎は呆れて言った。

『冗談言ってんじゃねーよ。あいつに好かれたって、俺全然反応しねーから』

「何だよ、反応って」

『俺のあそこはあいつには反応しねえよ』

「お、おまえ、そういう尺度で女子とつき合うのか?」

『あったり前だろ。とどのつまり、女子とつき合う最終目標はセックスだ。おまえもオトコだからそうだろ?』

 

 健太郎は絶句した。

 

「じゃ、じゃあ、俺が夏輝とつき合ってもいいのか?」

『勝手にすればいいじゃねーか。俺には関係ねえよ。だが、そうなったら、聞かせろよ、エッチがどんなだったか』

「ばかっ!」

『おまえ、今、赤くなってんだろ? かっかっか! そういうおまえこそさっさとコクっちまった方がいいんじゃねえか? 夏輝に。早くしねえと、あいつ、俺にコクっちまうぞ』

「大きなお世話だ。っつーか、おまえに言われても、全然釈然としないんだよ」

 

 

 次の日も、夏輝と春菜は剣道場にいた。

 

「あたし、」春菜が口を開いた。「家で絵の練習、したいんだけど」

「え? 何だって?」夏輝は耳に手を当てた。

「絵の練習っ、したいんだけどっ!」春菜はあからさまにいらいらして大声を出した。

「すれば」

「す、すれば、って……」

「ここにスケッチブック持って来なよ。そうだよ、あたしの修平をスケッチしてくれない?」

「いつから『あたしの』修平になったのよ。告白さえしてないくせに」春菜はそう言って、そこを離れた。

「あ、春菜、どこ行くの?」

「ちょっとね。すぐ戻るわよ」

 

 一人になった夏輝は、面をかぶって乱取り稽古をしている修平だけを見つめていた。彼女の胸はいつものように熱く高鳴った。

 

 やがて春菜が戻ってきた。手にはスケッチブックと鉛筆が一本握られていた。

「え?」

「やれやれ……」春菜はスケッチブックを開いて左腕で抱え、右手に持った鉛筆を軽やかに動かし始めた。夏輝はその様子をじっと見つめた。そして本物の修平の姿と、描き出されていくモノクロの修平の姿を何度も見比べた。

「あんた、例によってすごいね」

「え? 何が?」春菜は手を止めずに答えた。

「よくそんな、すらすらと……」

「はい、できたわよ」春菜はスケッチブックのその修平が描かれた紙をぺりぺりと切り離して、夏輝に渡した。

「あ、ありがと」

 

 

 昼食時間の学生食堂は賑やかだ。

 

 健太郎の隣に座った修平が喧噪の中囁いた。「ほら、夏輝だぜ」そして彼の脇腹を肘で小突いた。

「えっ?」健太郎は顔を上げて、修平の指の先、食堂の入り口に立っているポニーテールの女子生徒を見た。

「チャンスじゃねーか」修平がにやにやしながら言った。

「な、何がチャンスなんだよ」

「高校の食堂から始まる恋……そして二人は見つめ合い、そっと唇を……」

「やめろ」健太郎が言った。「こんなに人がいるのに、なんでくっ、唇を、」健太郎は赤くなった。

「ばっかじゃねーの? おまえ、本気で想像してんのか?」

「お、おまえが変なこと言うからだろ!」

 

「ケンちゃん」二人の前で声がした。健太郎は目を上げた。いつの間にか彼らが座ったテーブルの向かい側に夏輝が春菜と真雪と共に立っていた。

「え?」健太郎は三人を見上げたまま言葉を失った。

「ちっ! 真雪も一緒か。これじゃコクれねえな、ケンタ」修平がまた健太郎の脇腹を小突き、左手の指を鳴らして残念そうな顔をした。

「ここに座っていい? ケン兄」真雪が言った。

「え? あ、い、いいけど……」

 

「修平も一緒で良かった」夏輝が言った。「見せたいものがあるんだ」

「み、見せたいモノだあ?」修平が妙に動揺した風に言った。

「これ」

 

 夏輝は、昨日春菜が描いた道着姿の修平のスケッチをテーブルに置いて見せた。

 

「おっ!」修平が目を見開いた。

「こ、これって……」健太郎も横からその絵をのぞき込んだ。

「春菜が描いたんだよ。うまいでしょ」

「す、すげえ……」

「ものの一分ぐらいでさらさらっとね」

「面をつけてるのに、修平ってすぐわかるな、この絵……」健太郎が言った。

「ほんとに何て言うか、絵なのにしゅうちゃんの雰囲気が伝わるよね」真雪が言った。

「春菜さんって、噂以上だな……」

「絵の勉強、いつからやってるの?」健太郎が春菜に顔を向けて訊いた。

 春菜がようやく口を開いた。「小学生の頃からね」彼女は小さな声で言った。

「大したもんだな」修平がその絵を手に取った。そして左手の箸で定食の皿に残っていたミニトマトをつまみ、口に入れた。

「その絵、あんたにあげるからさ、」夏輝が身を乗り出して言った。「修平、あたしとつき合わない?」

 

「へ?」

 ぼと……。ミニトマトが修平の口から皿に落ちた。

 

「あたし、あんたが好きなんだ」

 日焼けした夏輝の頬はそのトマトのようにつやつやで真っ赤になっていた。

 突然のことに、春菜と真雪は一様にびっくりして、夏輝と修平の顔を何度も見比べた。修平も真っ赤になって言葉を失っていた。

 

「彼氏になってよ」

 

 隣の健太郎も箸を握りしめたまま固まり、目を数回しばたたかせた。

 

 ごくりと唾を飲み込んだ後、修平はやっと言葉を発した。「い、いいけど……」

「や、やったー……」夏輝はやっと聞こえるぐらいの小さな声で言った。

 その瞬間、健太郎が一瞬ひどく悲しい顔をしたのを、夏輝の横にいた春菜が目撃してしまった。

 

「ちょ、ちょっと来い! ケンタ」いきなり修平は座っていた椅子を蹴飛ばして立ち上がり、健太郎の襟首をひっつかんで食堂を出て行った。

 

 取り残された夏輝は、ゆっくりと椅子に座り直した。

「夏輝、あの……」春菜が恐る恐る口を開いた。

「なに?」夏輝は放心したようにつぶやき、春菜の顔を見た。

「私の思い違いかもしれないけど」

「え?」

「シンプソン君も、あなたのことが好きだったんじゃない?」

「え? ケンちゃんが?」「ケン兄が?」夏輝と真雪が同時に叫んだ。

「そう。だって、天道君が今『いいけど』って言った時、すごく悲しい顔をしたもの」

「へえ。気づかなかった。でもたぶんそれは思い違いだよ。あたし彼のことも、入学する前からずっと知ってるけど、そんなそぶり、今まで一度も見せたことなかったもん」

「あたしも気づかなかったなー」真雪も言ってパック入りのカフェオレにストローを挿した。

「いや、男の子って意外にそんなものなんじゃないの? 好きな子には素っ気なくしたりするって言うし」

「ケンちゃんはあたしに素っ気なくしたりしないよ。結構仲良しだよ。でも、たぶん、それだけだと……思う」

 

 夏輝は目を天井に向け、小さく首をかしげてちょっと考えた。

 

「何か思い当たることがある?」真雪が訊いた。

「そう言えば、あたしが修平と話をする時、必ずケンちゃんが隣にいるなあ、って今思った」

「それは二人とも同じ工業化学科クラスだし、シンプソン君と天道君は親友同士だからでしょ」

 

 

 食堂の入り口を出たところ。ジュースの自販機の脇で修平は健太郎の胸ぐらを掴み、恐ろしい形相で言った。

「おい! ケンタ!」

「な、何だよ、いきなり」

「なんでおまえ、止めなかった!」

「は?」

「なんで夏輝が俺にコクるのを止めなかったんだっ!」

 健太郎は修平の手を振り払って言った。「何わけのわかんないこと言ってるんだ。そんなの俺の知ったことじゃない。だから昨日電話で言っといただろ。それにおまえもOKしたじゃないか」

 そして健太郎はまた悲しい顔をした。

「お、おまえの目の前でコクられるなんて、想定外のさらに辺境だったんだよっ!」

「だけど、おまえOKしたっていうことは、おまえも好きなんだろ? 夏輝のことが」

「そっ!」

 修平は脂汗を額に光らせ思いきり困った顔をした。

 

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