「Chocolate Time」キャラクターと語る エッセイ集

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032.誤った語法

 いやしくも自分のことを「物書き」と思っている以上、僕は正しい日本語を使わなきゃ、という一種の強迫観念を常に抱いています。義務教育や高校での国語の授業はもとより、今まで本や新聞やネットでいろんな文章を目にしてきて、それによって自分の日本語による文章表現法が確立されているわけですが、今でも時々本来の意味とは違う使い方をしている文章を書いてしまうことがあります。それは自分の思い込みによる結果であるわけで、気づいた時には恥じ入る気持ちを抱きつつ、それを訂正することを余儀なくされます。

 ただ、コトバというものは生き物ですし、使う人の思いが時代により変化するのは避けられないこと。いつしか本来の意味ではない使い方が大勢を占めていることも多く、ここではそういう悩ましいコトバを取り上げました。

 何が悩ましいか、というのは、例えば『憮然(ぶぜん)』という言葉。本来の意味は次の通り。

 ぶ‐ぜん【×憮然】

[ト・タル][文][形動タリ]失望・落胆してどうすることもできないでいるさま。また、意外なことに驚きあきれているさま。

「憮然としてため息をつく」「憮然たる面持ちで成り行きを見る」

(デジタル大辞泉-小学館)

 恥ずかしながら、僕はずっと「怒っている、腹を立てている様子」だと思い込んでいました

 上のイラスト、まず左側。息子の龍を睨み付けている母親のミカです。こういうシチュエーションの場合は、

「ミカは無言のまま息子を憮然とした表情で見ていた」

ということになるでしょう。

 

 続いて右のイラスト。高校時代の春菜が友人夏輝の言動に呆れてそこを離れるシーン(本編第8話「Marron Chocolate Time」)。

「春菜は憮然とした面持ちで夏輝に背を向け、歩き始めた」

となります。

 

 でもこれは『憮然』の誤った使い方です。

 しかし文化庁が発表した平成19年度「国語に関する世論調査」では、本来の意味とされる「失望してぼんやりとしている様子」で使う人が17.1パーセント、本来の意味ではない「腹を立てている様子」で使う人が70.8パーセントという逆転した結果が出ています。

 何と、世の中の7割の人たちが僕と同じ誤解をしていることになります。

 これはとても重大なことです。なぜなら、もし僕が本来の意味で『憮然』という言葉を使ったとしても、読者の17%しか正確な意味を捉えられないということだからです。

 ということは、たとえ正しい使い方をしたとしても、読者の大多数に書き手である僕自身の思いが伝わらないということになるわけで、もうそうなるとこの『憮然』のようなあいまいな言葉自体が使えないじゃん、という気になってしまうのです。

 

 修平は憮然たる面持ちで恋人夏輝が彼女の同僚警察官秋月と愛し合っている様子を見ていた。

 

 これは正しい使い方ですが、左のイラストがなければ、修平は怒った様子で睨み付けていると思ってしまう人がほとんどでしょう。

 

 美紀は憮然とした様子で島袋を見つめていた。

 

 僕の拙作「海の香りとボタンダウンのシャツ」の一コマですが、出会い系サイトで知り合い、何度かの付き合いの結果結婚を考え始めた相手の男性が妻子持ちだったことがわかって呆然とする主人公の様子です。これも正しい使い方ですが、やはりイラストがなければ7割方誤解されてしまいます。

 読む人に正しい意図が伝わらないのであれば、前述した通りもはやこの言葉を使うことはできない、と思ってしまいます。使えないとなれば別の誤解を招きにくい言葉に言い換えるしかありません。やむなく使わなければならない場合はイラストで補足するという方法をとらなければ危険です。

 

 ちなみに噂によるとこの『憮然』の「怒っている様子」という誤った意味も、多くの人がその文章中に使い、また多くの人がそういう意味だと認識していることで、国語辞典に記載され始めているということです。すでに辞典によっては「俗」や「本来は誤り」という注釈付きで載せられているようです。

2017,6,12 Simpson