Twin's Story 9 "Almond Chocolate Time"

《1 バースデーパーティ》

 

 風薫る5月。『Simpson's Chocolate House』のプラタナスの木は、今その鮮やかな緑の葉をいっぱいに広げていた。そしてそれは心地よい風にさわさわと一斉に揺らいでいた。

 店の入り口脇に立てられたインフォメーション・プレートには、オリジナルのアーモンド入りチョコレートの写真が貼られている。

 

「このアーモンド入りチョコレートはね、」マユミがドアのガラスを磨いていた真雪に話しかけた。「うちの一番古い商品の一つなんだよ」

「へえ、そうなんだ」真雪は手を止めた。

「あなたのグランパが日本で修行していた頃から、彼とグランマが一番力を入れて作り上げてきたものなんだって」

「おいしいよね、確かに。このアーモンド入りチョコレート」

「あたしも感動したよ、初めて頂いた時」マユミは懐かしそうに言った。「もう40年近くも変わらない味、それにパッケージなんだってよ」

「歴史を感じるね」

「でも、お店やっていくには、古い物と新しい物とを上手にミックスさせていかなきゃいけないの」

 真雪は腰を伸ばして、建物正面に掛けられた大きな店の看板を見上げた。「あたし、この店、そのままでも十分だと思うけどね」

「『古い伝統にばかり捕らわれてはいけない』っていうのは、グランパの口癖。でもグランマの口癖は『古くて価値のある物をないがしろにしてはいけない』」

「正反対だね」

「だからうまくいってるんだよ、きっと」

 

 

 シンプソン家の離れ-店の裏にある別宅-では、二人の人物のためのバースデーパーティの準備が進められていた。

 

「ルナの誕生日が父さんのの二日後だったなんてね」健太郎が言った。

「ほんまに奇遇やな。で、春菜さんは、何時頃来はんねん?」

「六時頃に来るって言ってたよ」

「そうか。もちろん泊まっていくんやろ? うちに」

 健太郎は少し照れたように言った。「そのはずだけど」

 ケネスは時計を見た。「もうすぐやな。ほたらわい、アトリエに行ってケーキ仕上げてくるよってにな」

「うん。よろしく」

 

 

 この街の老舗スイーツ店『Simpson's Chocolate House』の現在のメインシェフはケネス・シンプソン(39)。この店を開業した彼の父アルバートとシヅ子の一人息子だ。アルバートはカナダ人。来日して大阪でショコラティエの修行をしている時にシヅ子と知り合い結婚した。一時祖国カナダでチョコレートハウスを開いていたアルバートとシヅ子は、息子のケネスが17歳になった時、日本のここに店を新たに開店し、たちまち評判になって、今では押しも押されもせぬ名スイーツ店に成長していた。

 それから22年が経ち、今は息子のケネスも39歳。一人前のショコラティエとして妻のマユミと共に店を切り盛りしていた。

 

 そのマユミとケネスが知り合ったのは、彼が17の時。カナダでも優秀なスイマーだったケネスが、部活留学生として一時来日していた時に、マユミの家にホームステイしたのが最初の出会いだった。マユミには双子の兄ケンジがいた。そのケンジも高校水泳部でかなりの活躍をしていて、ケネスはその高校で数週間ケンジと一緒に水泳指導を受けていたというわけだ。

 出会った当初からケンジとケネスは意気投合し、すぐに親しくなった。であるから、ケネスはもともとケンジの友人という立場だった。

 高二の夏、留学期間最後の3日間、ケンジ、マユミ兄妹の住む海棠家にホームステイしたケネスは、その後一度カナダに帰国したが、明くる年の春に父アルバートの決意でケンジたちの住む町に家族で引っ越し、店を構えて永住することになったのだった。

 

 ケネスとマユミの間には双子の兄妹健太郎と真雪(いずれも18)がいる。この3月に同じ工業高等学校を卒業し、健太郎は家業を継ぐべくお菓子作りの専門学校、真雪は動物飼育のノウハウを学ぶ学校に通い始めたところだ。

 健太郎には高校三年生の時から付き合っている月影春菜という眼鏡娘がいる。彼女も健太郎兄妹と同じ工業高校でデザイン科に在籍していて、今はインテリア・コーディネーターの専門学校に通っている。

 その春菜とは高校時代からの友人である、健太郎の双子の妹真雪は、母親マユミの兄、つまり本人にとっては伯父に当たる海棠ケンジと妻ミカの息子の海棠龍(14=中三)と恋人同士。龍は真雪にとってはいとこにあたるわけだが、昨年、龍が中二の夏に真雪から告白して交際が始まった

 

 今日のバースデーパーティの主役の一人である春菜は、たびたびこうしてシンプソン家に呼ばれ、恋人の健太郎のみならず、両親のケネス、マユミとももうすっかり顔なじみになっていた。

 

「よく来たわね、春菜さん。待ってたんだよ」マユミが笑顔で春菜を迎えた。

「すみません、私まで呼んでいただいて……」

「いや、ルナがメインゲストだから。父さんはついでだ、ついで」

「何やて?」健太郎の背後から声がした。

「あ、いたの、父さん」

「ついでやと? わかった。もうお前にはこのケーキ、食わしたらへん」ケネスの手には二段重ねのチョコレートケーキが抱えられていた。

「ご、ごめんごめん。どっちもメイン。メインだから」

「さ、あがって、春菜さん」マユミが春菜を促した。

 

 その時、表で声がした。「来たよー」

「おお、龍、それにケンジおじにミカさんも。遅かったね」健太郎が言った。

「ごめんごめん、母さんの着替えに手間取っちゃって」

「イブニングドレスにでも着替えてたんか? ミカ姉」ケネスがウィンクしながら言った。

「そ、あんたとダンスしなきゃいけないかと思うと、最高におしゃれしたくもなるだろ」ミカはいつものラフな格好だった。

「変わったドレスやな」

「俺と踊る時はいつもこんな格好だぜ」ケンジが笑った。

「早くあがりなよ、みんな」中の真雪が言った。

 

 こうしていつも家族に温かく迎え入れられている春菜は、この明るく、活気があって妙に楽しげなシンプソン家と海棠家の家族の雰囲気が大好きだった。

 

主要登場人物相関図
主要登場人物相関図

海棠家とシンプソン家の詳細についてはこちら→

 食卓の大きなバースデーケーキのろうそくを、春菜とケネスが一緒に吹き消した。

「おめでとー!」

 大きな拍手が巻き起こった。

「おおきに、みんな。ここまで生かしてもろうて」ケネスが言った。

「ありがとうございます」春菜も小さな声で言った。

「春菜さんは花の19。ケニー叔父さんは幾つになったの?」龍が早速テーブルのチキンに手を伸ばしながら訊いた。

「ケネスは39だよね」ミカが言った。「一番の働き盛り、ってとこだな」

「男盛りやんか、ミカ姉。色気ムンムンやろ?」

「いや、パパから色気出されてもねー」真雪が横目で父親を見ながら言った。

「そやけど、わいもいつお迎えが来るかわからんな」

「いや、早すぎるから」健太郎が言った。「男盛りじゃなかったのかよ」

「そういう気持ちでおらなあかん、っちゅうことやんか。人間」

「そうだぞ、」ケンジが口を開いた。「もし、今自分の身に何かあったら、と思うと、お前ら子どもたちをしっかり一人前に育てなきゃいけない、って改めて思うってもんだ」

「龍くんはしっかり育ってるじゃない」マユミが言った。

「健太郎も真雪もな」ミカが言った。「どうだ、健太郎。お前ケーキの専門学校に通ってるけど」

「ケーキだけの学校じゃないよ。一年目はもちろんいろんな生地の勉強や焼き方、デコレーションの仕方なんかを学ぶけど、二年目からはチョコレートや砂糖を使ったお菓子の専門の勉強をすることになってる」

「ちゃんとこの店の後を継ぐんだ。ケン兄。えらいよね」龍が言った。

「わいとしては、早う実践力を身につけさせたいところなんやけどな。なにしろわい自身親父直伝のテクニックしか知らへんやろ? 健太郎にはもっと広い知識が必要や、思てな」

「嬉しいもんだろ? 自分の後を継いでくれるってさ」ミカが言った。

「この店も健太郎で三代目、っちゅうことになるからなあ。ようもまあ、潰れもせんと続いてるもんや」

「大丈夫だと思います」ウーロン茶を飲んでいた春菜が言った。「こういうチョコレート専門店って、客足が途絶えないから長く続く、って言うじゃありませんか。カナダのトーマス・ハアスなんか、もう100年ぐらいお菓子を作ってるそうですし」

「春菜さん、よう知っとるな。そうなんや。トーマス・ハアスのチョコレートハウスはバンクーバーにあるんやけどな、ハアス家は今の三代前にカフェをオープンしてんねん。トーマスのひい爺さんの代にやで」

「この街には唯一だからな、こんな店」ミカが言った。「いっつも女子高生や暇な主婦連中で賑わってるじゃないか」

 

「わいにはな、野望があんねん」ケネスが目を輝かせて言った。

「野望?」

「そや。客層を広げたい。そのためにやな、」ケネスが怪しげな笑みを浮かべた。「春菜さんを利用すんねん」

「えっ? 私?」春菜はびっくりして顔を上げた。

「若い男ゲット大作戦や」

「若い男?」

「それもアキバ系オタクの男連中」

「何だよそれ」ケンジが呆れて言った。

「知らんのか? お前、アキバ系オタクは、一つのモノに惚れ込んだらとことん時間と金を使いよる。それを利用せん手はないやろ?」

 

「だんだんわかってきた、あたし」真雪がにやにやしながら言った。

「え? 何、なに?」春菜がケネスと真雪の顔を交互に見てそわそわし始めた。

「何も春菜さんじゃなくても、お前んちには真雪がいるだろ?」ミカが言った。

「真雪はあてにならん」

「何でだよ」ケンジが言った。

「こいつは将来、動物の世話師になるつもりやんか」

「確かに。今は動物相手の専門学校に通ってるからな」

「家畜臭い娘に萌えるオタクはおれへん」

「悪かったね家畜臭くて」真雪が言った。

「おまけに、真雪はいずれは龍のモンになってまう。既になっとるけどな」

 龍は頭を掻いた。

 

「そやから、春菜さんに白羽の矢を立てたっちゅうわけや」

「春菜さんはデザインの専門学校に通ってるんだよね」ケンジが訊いた。

「はい。やっぱり絵の勉強は続けたいし。先々インテリア・デザイナーになるのが今の一番の夢なんです」

「みてみい、役に立つやろ? この店の内装も、春菜さんに頼んでもっと垢抜けたもんにしよう、思てるねん」

「ちょっと待て。アキバ系オタクの話はどうなったんだ?」

「おお、そうやった」ケネスが手を打った。「あのな、春菜さんにメイドの格好をさせて、客を引く」

「ええっ!」

「賛成!」真雪がすかさず手を挙げた。「あたしも前から思ってた。高校ん時から。春菜ほどメイド服が似合う女の子、いないって」

「真雪自身がいわゆるオタクだからなー。その見解はあんまり参考にならないかも……」龍がつぶやいた。

「何であたしがオタクなんだよ、龍」真雪は隣に座った龍を睨んで言った。

俺の乳首に絆創膏貼りつけて喜んでたのはどこの誰だい?」

「やだ、そんなことしてたの? 真雪」マユミが口を押さえて恥ずかしそうに言った。

「えへへ。だって、いじりたくなるじゃん、龍を見てると」

 

「そんな訳でや、春菜さんがうちに来てくれはった暁には、可愛いピンクのメイド服着てもろうて、店内にいてもらうことにしとる。何ならすぐにでも、バイトっちゅうことで」

「父さん、勝手にそんな……」健太郎が心底呆れて言った。「何だよ、ピンクのメイド服って……。うちはいつからそんな怪しげなメイド喫茶になったんだい?」

「ええやんか。わいの夢や、夢。死ぬまでに実現させたい」

「つまり、ケニー叔父さんもメイド好きのオタクの一種だったってことなんだね」龍が笑いながら言った。

「大丈夫。春菜なら絶対ウける。客層が広がること間違いなしだよ」真雪が楽しげに言った。「だいいち、春菜の『月影春菜』っていう名前からして、美少女アニメの主人公的じゃん」

「それもそうだな」ケンジが言った。「何だかかっこいいな。日頃は地味だが、いざとなったらすごい力を発揮する、って感じがするな。で、どうなんだ? 健太郎」

「え? どうって? 何のこと?」

「春菜さんのすごい力、って、何だ?」

「絵の才能に決まってるじゃん。別にルナはそれを日頃隠してたりしないけどね」

 

「ところで、何でお前春菜さんのコトを『ルナ』って・・・、ああ、そうか!」ミカが言った。「『はるな』の『ルナ』な。なるほど」

「それに名字の『月(luna)』の意味もかけてあるんだ」

「おお! 深いね」ミカが賞賛の拍手を贈った。

 

「ところでさ、」龍がテーブルの真ん中のケーキに身を乗り出して言った。「このケーキ、」

「何や? 龍。ケーキになんかついとるか?」

「うん、ついてる。ここに、ケニー叔父さんと春菜さんの名前が書かれているのはわかるんだけどさ、」

「今日は二人のバースデーパーティやないか。何か文句あるんか?」

「いや、その二人の名前の間に、何でハートマークがあるのさ」

 

「ほんとだ」健太郎もケーキをのぞき込んで言った。「これじゃまるで、二人が愛し合ってるみたいじゃないか」

「いかんのかい、愛し合ったら」

「いや、駄目だろ、普通に」健太郎が反抗的に言った。

「お前、いやらしことするだけが愛し合うんとちゃうねんぞ。わいは、いずれうちの娘になる春菜さんを、義理の父親として、愛しとるんやないか。何考えとんねん。ほんま。ケンのエッチ」

「何言ってるんだ、まったく」

「それにな、自分のバースデーケーキを自分で作らなあかんむなしさが、お前にわかるか? そのハートマークはな、お前に対するささやかな当てつけのしるしやんか」

「だって、父さん手伝わせてくれないじゃないか。いつも」

「当たり前や。みんなに食わせるケーキはお前にはまだ作らすわけにはいかん」

 

「ほんとに頑固なんだから」隣に座っていたマユミが笑いながら階段下のキッチンスペースに立った。真雪も立ち上がった。二人は湯を沸かし、コーヒーを淹れ始めた。

「私、こんな芸術的なケーキ、初めて見ました」春菜が言った。

「え?」健太郎が春菜の顔を見た。「芸術的?」

「切り分けるのがもったいないぐらい。お父さまのセンス、素晴らしい……」

「みてみい、さすが芸術家や。このケーキの素晴らしさは誰にでもわかるもんやないんやなー。あーむなし」ケネスは腕を組み、目を閉じて言った。

 

「俺、食べたい。食べようよ」龍が元気よく言った。

「よー言うた! 龍。ケーキは食ってこそ華や。見て楽しんだ後、味わって感動する。それがほんまのケーキの取り扱い方やで」ケネスは腕まくりをして、ケーキナイフを手に取った。

「あ、私、切ります」

「あかん。人には切らせられへん」

 真雪がキッチンに立ったまま言った。「任せとけばいいんだよ、春菜。パパ、そこまで自分でやんないと気が済まないんだ」

「どこまでも頑固な職人なんだね、ケニー叔父さん」龍が感心したように言った。

 きっちり等分に切り分けられたチョコレートケーキが全員の前に配られた。

「さあみんな、召し上がれ」マユミと真雪が8客のコーヒーカップをトレイに載せて運んできた。

 

 

「このケーキ、何だか香ばしい香りがする」切り分けられたバースデーケーキを一口食べた龍が言った。

「それはアーモンドパウダーのせいだよ」マユミが言った。

「へえ。そう言えば、アーモンドそのものもいっぱい載ってるじゃん、このケーキ」

「アーモンドを使うたチョコレートはな、龍、この店で最も古くから商品になってたものの一つなんやで」

「どうして?」

「たかがお菓子。されど、人の口に入る以上、健康のことも考えなあかん。これは親父の口癖や」

「さすがグランパ」真雪が言った。

「アーモンドの効能はビタミンEによる美肌効果や老化抑制、マグネシウムやトリプトファンの精神安定・安眠効果、食物繊維の整腸作用」

「そうなんだ」

「一日23粒で、マグネシウムの日本の成人女性の一日摂取量をまかなえるらしいで」

「いや、けっこう大変だよ、毎日23粒ってさ」

 

「この中に、夜眠れなくて困ってる人、いる?」マユミがそこにいるメンバーを見回した。

「ああ、俺、時々眠れなくて困ることがあるなあ……」健太郎だった。

「そうなの?」隣に座った春菜が意外そうに言った。

「最近、あんまり夢もみないし」

「そう。じゃあ、健太郎には特別にカモミールティを淹れてあげようか」マユミが言った。「アーモンドとの相乗効果で、リラックスしてよく眠れるらしいから」

「ほんとにー?」

「信じて飲まないと効かないよ」マユミが笑ってまた立ち上がった。「ちょっと待っててね。他に欲しい人、いる?」

「あ、私も手伝います」春菜が立ち上がった。

「春菜さんは大切なお客様だから、座ってなきゃだめ」

「え? でも」

「そうだよ。座ってて、春菜」真雪が言った。「ここはママに任せて」

「あなたが手伝うの、真雪」

「やっぱり?」

 

「俺が手伝うよ、マユミ叔母さん」龍が言って立ち上がった。

「え? 何で?」真雪が言った。「珍しいこともあるもんだね」

「何たくらんでるんだ? 龍」健太郎も龍を見上げて言った。

「なんだよ。俺が手伝ったら、何か問題でもあるの?」龍はちょっとむっとしたように言った。

「嬉しい」マユミが言った。「たまにはいいよね、甥っこと一緒にお茶淹れるのも」

 

 マユミは龍とともにキッチンスペースに向かった。

 

 健太郎は並んで睦まじくお茶の準備をするマユミと龍の姿を見て、肩をすくめた。

「健太郎」

「え? なに?」ミカに呼ばれて健太郎は振り向いた。

「お前が眠れないのは、」ミカはにやにやしながら続けた。「寝る前に何か興奮することやってるからじゃないのか?」

「なっ、何言ってるんだ、ミカさん」

「かえって眠れるか、そんなことした後は。くたびれ果てて、いつもよく寝てたからな、お前」

「あーっ! ミカさんっ! それ以上は言っちゃだめっ!」健太郎は真っ赤になって大声を出した。

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