Chocolate Time 雨の物語集 ~雨に濡れる不器用な男たちのラブストーリー~

《5.門出》

 

「なにっ?! ほんまか?」ケネスが大声を出した。

 

 ――シンプソン家の食卓。

 

「まだ極秘事項なんだけどね、」真雪が言った。「あたしとケン兄、しゅうちゃんにだけ教えてくれた。鷲尾先生」

「いくつなの? その鷲尾先生って」マユミがケネスのグラスにワインをつぎ足しながら訊いた。

「大学出て、まだ2年だって言ってたから、24……かな?」

「びっくり仰天やな」ケネスはグラスを口に運んだ。

「一番びっくりしてたのは、志賀のおっちゃんだってさ」

「そうやろな。いきなり孫に嫁が来ることになったんやから……」

「鷲尾先生がいきなり工務店を訪ねて、その話を聞いた時、腰抜かしそうになったって」真雪は笑った。

 

「あれから将太のやつ、人が変わったように勉強してるよ」

「よかったね」マユミが微笑みながら、生野菜にドレッシングを掛けた。

「でもね、将太言ってた。先生に、自分を留年させてくれ、もっと勉強したいから、って頼み込んだらしい」

「へえ!」

「感心だね」

「でもだめだって言われたらしいよ」

「じいちゃんが元気なうちにしっかり修行して、資格取る時、必要な時は職員室に来い、って教頭先生に言われたってさ」

 

「ほんで、入籍はいつなんや?」

「自分が卒業して、見習いとしておじいちゃんと一緒に働いて、仕事任せてもらえるようになってからだって将太くん言ってた」

「先生は一緒に暮らさないの?」マユミが訊いた。

「将太くんが卒業したら工務店に引っ越すって。でも教師は続けるらしいよ、もちろん」

「そう」

 

「そやけど、先生の両親、ようOKしてくれはったな」

「それは大変だったらしいよ」

「初めは大反対だったとか」

「無理もないわな……」

「先生自身が説得して、将太も会いに行って、頭下げて……」

「で、入籍を待たせるってことでしぶしぶね」

「それは志賀のおっちゃんの意見だそうだよ」

「やっぱり一人前にならな、預けられんわな、大事な娘やし」ケネスは真雪をちらりと見た。

 

 

 次の土曜日。寒いがよく晴れた朝だった。

 『シンチョコ』の開店前の時間に将太と彩友美がやって来た。

 

「こんにちは」

「将ちゃん! いらっしゃい。よく来たね」マユミが出迎えた。「先生も、ようこそ。さあ、中に」

「失礼します」彩友美は恥じらったように頬を染め、にっこり笑って将太といっしょに店に入った。

 

「挨拶が遅れちゃって、ごめんなさい」将太がケネスに最敬礼をした。

「こんな忙しい時間にお邪魔してしまって、申し訳ありません」彩友美がそう言いながら細長い紙の手提げ袋を差し出した。「ご主人のお好きなワインとお聞きしまして。チリの赤ワイン」

「おお! それはどうもおおきに、ありがとうございます」ケネスは大喜びでそれを手にした。「まあ、座って下さい、そこに」

 彩友美と将太は促されてテーブルについた。

 

「ケニーおっちゃん、ありがとう、いろいろ」将太が頭を掻きながら言った。

「大変やぞ、先生と簡単に結婚できる思たら大間違いやぞ」

「わかってる」

「しばらくテスト期間があんねやろ?」

「うん。俺がちゃんと真面目に仕事して、彩友美先生の両親のOKがもらえたら結婚できるんだ」

 

 将太の目は今までケネスが見たことのない真剣さだった。

 

「親にはな、我が子に幸せになって欲しい、っちゅう思いがあるんや。将太が先生を幸せにできなんだら、連れ戻されるっちゅうことやで」

「俺にとっても、その方がいい」

「何でや?」

「逃げが許されないから」

「よっしゃ。ええ根性してるやないか、将太」

 

 マユミがコーヒーカップを三客と、アソートチョコレートを銀の皿に載せて運んできた。

「どうぞ」

「すみません、お母さん。お気遣いなく」彩友美が恐縮したように言った。そして将太を肘で小突いた。「ほら、将太君も」

「あ、ど、どうも」将太はぺこりと頭を下げた。

 ケネスは噴き出した。「わっはっは! こうして見ると、ただの先生と生徒やな」そしてコーヒーカップを手に取った。「私生活でも彼女はまだおまえの先生なんやな、将太」

 

「健太郎君と真雪さん、それに修平君に、私、随分心配を掛けてしまいました」彩友美が恐縮しながら言った。

「お節介な子らやからな。気にせんといてください。先生」

「あの子たちとケネスさんがいらっしゃらなければ、私たち、今、こうして二人で一緒にいることはできなかったと思います。本当にありがとうございました」

「とんでもない。元々将太の持っとった気持ちを目覚めさせただけですねん。一発殴ってやりましたけどな」

 

 ケネスは将太を見てウィンクをした。

 

「俺、あのおっちゃんの一発で目が覚めた。やっと自分を取り戻せた」

「今がゴールやないで、将太。これからが正念場やで。わかっとるな?」

「うん。同じコトじいちゃんにも言われた」

「そうか、さすがやな、おやっさん」

 

「先生、食べてください。うちのチョコ」

「はい。実は私、大好きなんです、このアソート」

「ほんまに?」

「はい。私も時々買いに来てましたから。ここのチョコレート食べると、とっても幸せな気分になれるんです。」

 彩友美はそう言ってテーブルの真ん中に置かれたチョコレートに手を伸ばした。

「ほたら将太、時々これ、先生に買うてやらなあかんわな」

「うん」

 将太は無邪気な笑顔を作ってケネスを見た。

「ま、今は甘甘やから、必要あれへんやろけどな」ケネスは笑った。

 彩友美と将太は揃って頭を掻いた。

 

 

 ――それから一年後。

 

 シンプソン家の離れの別宅では、二階手すりの改修工事が行われていた。建蔵と数人の職人に混じって、作業服姿の将太も外で角材のカンナがけをやっていた。

「将太のヤツ、なかなかサマになってきたやないか、おやっさん」

「まだまだだよ、ケネス」建蔵はタバコをくゆらせながら、それでも目を細めて孫の働く姿を眺めていた。

 

「どや、将太の働き」ケネスが近くにいた若い職人に声を掛けた。

「ああ、ケニーさん。さすがに頭領の孫だけあって、筋はいいっすよ。将太。言われたこと以上の仕事をしやがるし。俺たちにも刺激になりまさ」

「そうなんやな」ケネスも満足そうに微笑んだ。

「それに、あいつ高校出てすぐ自動車運転免許一発で取りやがって、今じゃばんばん軽トラ走らせてくれるんす。人手が足りない時なんか大助かりでさ」

「すでに一人前風情やな」

 

「ところで、先生のこと、ちゃんと可愛がっとるんやろな、おやっさん」

 建蔵はぼりぼりと頭を掻いた。「最初はこっちが遠慮して、なかなか扱いづらかったんだがな、今はすっかりうちの家族みたいになっとるよ」

「って、家族やないか。立派な」

「そうなんだがよ」建蔵は困ったように笑った。

 

「しかし、良かったやないか。聞いたで。先生の両親からOKが出たんやろ? 籍を入れること」

「ああ、わしもほっとしとる」

「将太の働きがええからや。何や、聞いたところによると、夏に先生の実家の修繕、将太が請け合うたんやって?」

「修繕って言っても、板塀の掛け替えだけだがな」

「将太一人でやったんか?」

「わしも手伝うつもりだったが、ヤツはわしに一切手を出させんかったよ」

「そうか、勝負かけたんやな、将太のヤツ。で、そないな将太見て、両親も気に入ってくれたんやな」

「その上庭木の植え替えまでやってやがるんだ」

「ほんまに? おやっさん、そんなことも伝授してたんかいな、将太に」

「いつか、なんぞの役に立つかも知れん、と思ってな。だが、ヤツは自分でも勉強してたみたいでな、こっそり」

「やるな、将太」

「自分で本を買うなんて、学生ン時にゃ、一度もやったことなかったくせによ」

「ええ職人になりそうやな。立派におやっさんの跡継ぎになっとるやないか」

 

 建蔵は空を仰いで、長いため息をついた。「いつの間にか一端(いっぱし)の腕になってやがった」

「そこまでやられたら先生の両親も反対できんわな」

「逆にえらく気に入られちまってよ、それからちょくちょくあっちに呼ばれて夕飯ごちそうになってやがるんだ」

 

 ケネスはしみじみと言った。「ほんま、良かったな、おやっさん。」

 建蔵は声を潜めておかしそうに言った。「だけどよ、ケネス、今でも彩友美さん、将太の嫁なのか母親なのか区別がつかん」

「わっはっは! ほんまに? いやあ、おもろいで、なかなか」ケネスは大笑いした。

 

「何の話、してる? おっちゃん」将太がタオルで額の汗を拭きながら近づいてきた。

「将太、ええ人、嫁にもろたな」ケネスはそう言いながら、その若い職人の卵の頭を乱暴に撫でた。

 

 将太が晴れ晴れとした表情で言った。「そうそう、おっちゃん、帰りにチョコ、買ってくから」

 

―― the End

 

2013,10,14初稿(2014,1,15改稿)

 

※本作品の著作権はS.Simpsonにあります。無断での転載、転用、複製を固く禁止します。

※Copyright © Secret Simpson 2013-2014 all rights reserved

 

彩友美&将太のプロフィール

《あとがき》

 僕の一つ下の後輩の女性は、高校の時の先生と結婚しました。同じ高校に通っていたので、彼女の夫となった人は僕にとっては『先生』なわけで、彼と後輩とがどういう経緯で恋を育み、結婚に至ったか、ということを想像すると、なかなかに萌えるものがあります。結婚したのは高校卒業後でしたが、いわゆる18歳未満の未成年とのイケナイ関係が二人の間にあったのか、なかったのか……。

 でも、考えてみれば、大学を卒業したてで教師になれば、最も早くて22歳。高校三年生は18歳になる学年ですから、歳の差はわずかに4年。お互いに心惹かれれば、十分交際相手となるわけです。

 将太の母親は夫の死後、外に男を作って出て行った、ということになっていますが、話はそれほど単純ではありません。自分の心のおもむくままに息子を捨てて家を出て行くなどという身勝手な行動を、普通の女性が簡単にとれるわけはありません。深い事情(★)があったはずです。でもそれは、いずれ、別のお話で。

★その深い事情を描いた『アダルトビデオの向こう側』は→こちら

 

 とは言え、将太にとっては酷く辛い出来事だったに違いありません。彼がずっと隠し持っていた黒いストッキングが、その傷を癒してくれる唯一のモノでしたが、彩友美先生と出会ったことは、彼に希望や前向きな気持ちを再び呼び戻すきっかけになりました。

 『Simpson's Chocolate House』の二代目オーナー、ケネス・シンプソンは、すずかけ町の商工会の役員を長く務めています。彼は町全体が活気づくためのアイデアを、各事業所の代表者からたくさん集め、何度も会合を持って、それぞれが競争ではなく共栄するための方策を考え続けています。

 彼は、自分の店で出すものには必ず、何らかのカタチでチョコレートを使用しています。チョコレート・ハウスの経営者としてのプライドです。お茶を飲みにやってくるお客に、例えば「メニューに軽食を加えたらどうか」と提言されたら、「はす向かいにある純喫茶に、豊富な軽食メニューがありまっせ」と紹介し、「ココナッツクッキーは置いてないのか?」と訊かれれば、「三軒隣のお菓子屋には絶品のクッキーがぎょうさん取りそろえてあります」さらに「プレゼントでしたら、その角を入ったところにある花屋で一本、ミニバラでも着けたったらどないです?」と促し、自分の名刺の裏にその旨を書き込んでその客に渡したりするのです。

 結果、町全体が一つの大きな魅力溢れる百貨店、マーケットとして機能しているわけです。

 

 これからもこの『Simpson's Chocolate House』のあるすずかけ町をよろしくお願いします(笑)。

Simpson