Twin's Story 外伝 "Hot Chocolate Time" 第2集 第10話 幻影タイム

〈2.狐の祠〉

 

「なにが『上がればすぐだ』だ。あのじいさん嘘ばっかり言いやがって」修平が額からとめどなく汗をぼたぼた落としながら言った。「かれこれ30分だぞ、下から」

「まだ見えてこない?」健太郎もはあはあ言いながら春菜に顔を向けた。

「それらしいものは……」

「ほとんど山道だね」夏輝が健太郎の背中のリュックを持ち上げてやりながら言った。「ほんとにあるのかな、キャンプ場なんて……」

「いっそ、あの駐車場にテント張れば良かったな」健太郎はぜいぜい言っている。

「いやいやケンタ、これがキャンプの醍醐味ってもんだぜ」修平の足取りは比較的軽い。

「修平、さすがにタフだな……」

 

 それから四人はうっそうとした森に入っていった。道の脇の所々に『キャンプ場すぐ』と書かれた、墓地にある卒塔婆(そとば)のような看板が立っていた。

 

「いつまでたっても『キャンプ場すぐ』じゃないか。まったく……」健太郎がうんざりしたように言った。

 

 いつしか四人の口数は極端に減っていた。ただはあはあという荒い息づかいだけが、あちこちでけたたましく鳴き交わすミンミンゼミの声と共に聞こえるだけだった。

 

 

 突然視界が開けた。四人は思わず立ち止まった。

 

「おお!」修平がまず声を上げた。「見ろよ、みんな、海だ、海が見える!」

 残る三人も腰を伸ばして振り向いた。

 

 遙かに広がる海は、少し西に傾いた陽に輝いていた。遠くの島がうっすらとライトブルーに煙っている。

 

「すばらしい景色だねー」春菜がうっとりした声を上げた。

「ってか、俺たちこんなに登ってきたってことなんだな……」

「やっと着いたみたいだな。良かった……、俺もう一歩も歩けないよ」健太郎がそこに座り込んだ。

「なんだ、ケンタ。だらしねえやつだな」

 夏輝が健太郎のリュックに手を掛けて言った。「無理もないよ。この荷物の重さ、半端ないもの」

「大丈夫? ケン」春菜がバッグからペットボトルを取り出して健太郎に渡した。

 

 

 森の一部が開けている場所だった。平坦な場所がいくつか作られていた。それはテントを張るためのサイトだった。

 古い学校の手洗い場のような蛇口が3つ取り付けられた流し場、そしてそこからいくらも離れていない場所に小さいが清潔に管理されたトイレがあった。その横に屋根だけの小屋があり、薪と煉瓦、コンクリートブロックが積み上げられている。

 

 修平がリュックを下ろしながら呟いた。「いいね。何にもねえキャンプ場。理想的じゃねえか。野性の本能が目覚め始めたぞ」

 健太郎が軽蔑したような目を修平に向けたが、修平はそれを無視して大きく伸びをした。

 

 

 遠くの海が見渡せる最も眺めのいい場所に二つのテントを並べて張り終えた修平と健太郎は、その内の一つに頭を突っ込んで昼寝を始めた。

 

 テントの前の柔らかな草に夏輝と春菜は腰を下ろしていた。息の長い風が二人の髪を揺らした。

「オトコ共、かなりくたびれてるみたいだね」

「さっそく本能に任せて行動してるわね」

「ま、ここまで来るだけで、あれだけの体力使わされたわけだから、無理もないけど」

 

 夏輝と春菜は顔を見合わせて笑った。

 

「春菜、動く気力、残ってる?」

「全然平気。重い荷物のほとんどはケンと天道くんが持ってくれてたからね。なに? 何かやることでも?」

「このあたり、散歩してみようよ」夏輝が立ち上がり、ジーンズについた草を払った。春菜も立ち上がった。

 

 

 二人は流し場の奥から続く獣道に足を踏み入れた。すぐに二人はうっそうとした森に包まれた。

「なかなか涼しいね。まだ陽が高いのに」

「そうだね。夜は寒いくらいかも」

「これが『鎮守の森』なのかな。お店の人が言ってた」春菜が立ち止まって林立した大きな木を見上げた。

 

「あれ? かわいい祠(ほこら)があるよ」夏輝がそう言って駆けだしたので、春菜も慌てて彼女の後を追った。

 

 直径10㍍程のほぼ円形の緑のスペースが、森の中に唐突にあった。そしてその一角に木で創られたかわいらしい祠が建っていた。

 その白木で造られた祠の観音開きの格子戸の奥の壁には、サンスクリット文字と思しき模様が描かれたお札が貼られていて、その前に大小二つの白い狐の置物が並べて置いてある。

 

「わあ! かわいい狐」

「ほんとだ。大きいのと小さいの。夫婦? 親子かも……」

「目元にほくろがある」

「これってほくろなの?」

「だって、二匹とも同じ場所についてるよ、黒い点」

「ほんとだ」

 

「これ、油揚げ……かな」

「うん。でももう干からびちゃってるね」

 祠の前の、これも小さな三宝にカラカラになった茶色いものが載っていた。

 

「どうしたんだ? 二人とも」がさがさという音と共に、二人の背後から声がした。しゃがんでいた夏輝と春菜は同時に振り向いた。

「ケンちゃん」夏輝が立ち上がった。「もう起きたんだ。大丈夫?」

「ああ。だいぶ疲れは取れた」健太郎は腰に手を当ててぐるりと辺りを見回した。「ここは?」

「さあね。でもここに狐の祠があるよ」

 

 健太郎は二人に近づいた。「この場所にだけ芝が張ってあるんだ。しかもきれいに手入れされてる……」

「不思議な場所だよね」春菜も立ち上がった。「森の中の祠、って言ったら、ちょっと不気味な感じもするけど……」

「でも、村の人たちが大事にしてるって感じがするじゃん」夏輝が言った。

 

 祠の前に供えてあった干からびた油揚げを見下ろした健太郎は、手を打った。「そうだ!」そしてテントを張ったところまで駆けていった。

 しばらくして戻ってきた健太郎は、ラップにくるまれたいなりずしをその油揚げの代わりに三宝に載せた。

 

「狐の祠なんだろ?」そう言って彼はぱんぱん、と柏手(かしわで)を打った。

 

「さっきのうどん屋さんのおいなりさんだね」夏輝が言った。

「うん。意外にうどんが大盛りで、一個食べきれなかったからね。小さい方。店のおばちゃんに包んでもらってたんだ」

「大小一個ずつのいなりずし、で『親子』なんだね。よく考えてあるよ」夏輝が言った。

「でも、」春菜が再びしゃがんで、供えられたその小ぶりのいなり寿司を見ながら言った。「普通のおいなりさんと、ちょっと違うよね。色とか」

「うん。修平がそれ食べてる時、あたしも思ってた。油揚げが白い」

「ネーミングが『雌狐』だからじゃないかな」健太郎が言った。そして祠の中を覗き込んだ。「それに、この二匹の狐も白いし」

「味はどうだった? ケンちゃん」

「普通のとそれほど変わりはしなかったけど、ちょっとふんわりした感じだった。いくらか豆腐に近い感じ」

「そうなんだね」春菜が言って立ち上がった。

 

 

 健太郎と春菜、夏輝はテントに戻った。

 修平はテントの入り口に座って、熱心に一枚の紙を見ていた。

 

「起きたんだ、修平も」

 修平は顔を上げて夏輝を見た。「ん」

「何? その紙」

「つい今しがた、管理人のじいさんがやって来てよ、これ渡し忘れてた、って言って置いてった」

「その紙だけ?」

「これも」修平は自分の横に置いてあった籠を持ち上げた。

「野菜?」

「トマトだろ、キュウリだろ、トウモロコシだろ、」修平は中に入っていたものを一つずつ手に取りながら言った。

「って、元気じゃん。あのおじいさん」

「だよな」健太郎だった。「歩いて小一時間かかる山道を登ってきたんだろ?」

「それに、そのたくさんの野菜も?」春菜も驚いた表情で言った。

「『うぇるかむ・べじたぶる』なんだとよ」

「百円の利用料じゃ釣り合わないね」夏輝が少し困惑したように肩をすくめた。

「そうそう、この紙にも書いてあっけど、森に入って少し登ったとこに露天風呂があるらしいぜ」

「ほんとに?!」春菜が大声を出した。「後で行こうよ、みんなで」

「え? みんなで?」健太郎が赤面した。「男女に分かれてたりしないんだろ?」

「いいじゃない。こんなときぐらい」春菜が言った。

「春菜もなかなか大胆なこと言うよね」夏輝がにやにや笑いながら言った。「でもま、荷物の管理もあるから、四人でいっぺんに風呂に入るのは、防犯上ちょっとやばいかもね」

「それもそうか」春菜は頭を掻いた。

「って、俺たち以外に人なんかいねえだろ、ここには」

「わかんないよ、人間に化けた狐が、いろいろ持ってっちゃうかもよ」

「ありえねえし」修平は呆れ顔をした後、再びその案内パンフレットに目を落とした。「んで、ずっと上の方に神社らしきものがある。」

「神社?」

「無人なんだろうがな。『稲荷神社』って書いてあら」

「そうか、さっきの祠はその出張所みたいなものなんだね」夏輝が言った。

「出張所だって」春菜は笑った。

「祠?」修平が立ち上がって、持っていたパンフレットを健太郎に手渡した。「何かあったのか?」

「ああ。流し場の奥の森の中にな、小さな狐の祠が建ってたんだ」

「へえ」