Chocolate Time 外伝 第3集 第7話

そのチョコを食べ終わる頃には


《第1章》「その警察官、秋月 遼」  《第2章》「その秘密の出来事は」     《第3章》「そのチョコを食べ終わる頃には」   

第1章「その警察官 秋月 遼」 1

 鈴掛南中学校の剣道部には28人の部員がいた。警察官秋月遼(あきづき りょう 30)は毎週月、水曜日の夕方、学校を訪れ、ゲストコーチとしてその生徒たちの指導に当たっていた。

 遼はすずかけ町二丁目の交番に勤める警部補で交番の責任者だった。巡査時代からその真面目で誠実な働きぶりと勤勉さが上層部に評価されていて、この四月には巡査部長から昇級して弱冠30歳という若さで警部補に任ぜられていた。彼は中学に入ってから始めた剣道を今も続け、今は三段の腕前だった。彼には高校三年生時代からつき合い始めた亜紀という同い年の妻がいる。

 

「遙生、足の具合は?」

 その日の夕方、中学校の部活の時間に剣道道場を訪れた遼は、隅で頭に手ぬぐいを巻き、面を付けようとしていた小柄な二年生の男子生徒に声を掛けた。その生徒は顔を上げ、にっこりと笑った。

「あ、秋月コーチ」

「先週の足首の捻挫、どんな具合だ?」

「まだ少し痛みが出ることもありますけど、大丈夫です」

 包帯の巻かれた右足首をさすりながら、その生徒篠原遙生(しのはら はるき)は言った。

「無理するなよ。しばらくは乱稽古は控えた方がいい」

「はい、そうします。今週はリハビリですね」

 遙生は少し照れたようにまたにっこりと笑い、面をかぶった。遼は彼の後ろにまわり、面紐を左右にひっぱり、きゅっと結んでやった。

「秋月コーチと遙生はまるで親子のようだな」

 遼の後ろで声がした。笑いながら立っていたのはこのこの学校の剣道部の顧問、保健体育科の教師剣持優(けんもち すぐる)(37)だった。

「剣持先生」

 遼は目を上げた。

「目元もよく似ているし」

「人からよくそう言わます。他人のそら似ってやつですね」遼は立ち上がって頭を掻いた。

 小手を付け終わった遙生は竹刀を持って立ち、遼と剣持に軽く会釈をして、他の部員たちが素振りをしている場所に小走りで駆けていった。

 その後ろ姿を微笑ましく見やりながら、剣持は言った。

「遙生のやつ、君のことが大好きなんだよ。君がやってくる月曜日と水曜日は目に見えて動きが違うんだ」

「そうなんですか?」

「先週、あいつが捻挫した時、君がおぶって保健室に連れて行ってくれただろう? その時も養護の先生に言ってたそうだよ。秋月コーチが毎日来てくれたらいいのに、ってな」

 遼ははにかんだ様子で頬を人差し指で掻いた。

「今訊いたら、遙生、まだ少し痛みが残ってると言ってました」

「うん。だろうな。様子を見てればわかる。無理はさせないよ。まあ、そうやって闇雲に行動する生徒じゃないから心配ないとは思うけどな」

「確かに」遼は道場の端で素振りを始めた遙生の背中に目をやった。「もうちょっと闘志が欲しい気もしないではないですが」

「そうだな。基本的に優しいからな、遙生は。だが俺自身はああいうタイプは悪くないと思ってる」

 遼はその筋肉質の顧問教師に目を向け直した。

「昂奮して我を忘れるような闘志むき出しの闘い方は、剣道という武道には似合わない。そう思うだろ? 秋月コーチも」

「はい。そうですね」

 遼は自分が中学生の時に、当時の剣道部の顧問から言われたことを思い出していた。

『剣道は戦意や闘志だけがあればいいというものじゃない。まず相手に敬意を払いその人格を尊重し、平常心を忘れずに相対することだ。おまえにはそれが身についているようだ。きっと誰よりも早く上達するよ』

 

――七月三十日。亜紀の誕生日。

 K市中心部にある駅前の結婚式場も備えた大きなホテルの一室。

 ああ、とひときわ大きな喘ぎ声を上げて、亜紀は汗ばんだ身体を震わせた。

「亜紀、亜紀っ! イくっ!」

「遼! イって!」

 激しく上下していた腰の動きが止まり、その身体を仰け反らせ、遼は呻いた。

 亜紀の身体の奥深くで遼の想いが弾け、二人は固く抱き合って唇同士を乱暴に重ね合わせた。

「素敵だった」

 仰向けになった遼の胸に指を這わせながら、亜紀は荒い息を整えながら、少しかすれた声で言った。

「僕も……」

 遼は亜紀に顔を向けてにっこりと笑い、その髪を撫でた。

 二人の息が落ち着き始めた頃、遼は隣に横になった妻の乳房を手で包み込むようにして言った。

「初めての時、痛い思いをさせてごめん」

 亜紀は呆れ顔をした。

「いきなりなに? そんなの当たり前じゃない。なんで今になってそんなこと言い出すの?」

「あの時、君、本当に痛そうだったから……何か急に思い出しちゃって」

「誰だってそんなものよ、女の子は」亜紀は遼に身体を向けた。「ずっと気にしてるわけ? あの時のこと」

「まあ……」遼は気まずそうに鼻の頭を掻いた。

「あたし、幸せだって思うわ」

 遼も亜紀に身体を向けた。

「だって、初めての人とこうして結ばれて、温かな結婚生活が送れて、その上自分の誕生日には毎年必ずこんな素敵な場所で過ごさせてもらえるんだもの」

 遼は微笑み、亜紀の身体をそっと抱きしめた。

「君がそう思ってくれてることが、僕にとっては一番の幸せだよ」

「遼……」

 亜紀が遼の両頬に手を当てると、それに応えて遼は愛しい妻の柔らかな唇をゆっくりと味わった。

「遙生くん、夏の大会のレギュラーに選ばれたんだって?」

 亜紀が言った。

「そう。団体戦の先鋒としてね。三年生が引退して初めての公式戦なんだ」

「気合い負けしたりしないかな。みんなに比べて小柄だけど」

「意外に芯は強くて思い切りがいいから、逆に相手の意表は突けると思うよ」

「いい子だよね、オフの時は遼に甘えてくるけど、部活の時はちゃんと敬語で話せるし」

「確かに場をわきまえた礼儀正しさは身についてるね」

 亜紀はその少年篠原遙生が大のお気に入りだった。去年の夏の部活のキャンプでバーベキューの手伝いをした時に初めて会って、そのはにかんだような笑顔と、少年らしい屈託のない態度が印象に残っていた。それから何度か部活のイベントで一緒に活動したり遊んだりした。遼が家に連れてきたこともある。春の合宿の時にも先輩を立ててくるくるとよく働き、時折遼と亜紀が一緒にいるところにやって来ては、他愛のないことを楽しそうに話してくれるのだった。亜紀が遙生のことを気に入っている最大の理由は、彼が夫遼によく似た風貌を持っていることだった。笑うとひときわ目を引く並びの良い白い歯、そして少し垂れた目尻。

「遙生、どんな大人に育つんだろうな……」

「きっとイケメンになって人気者になるとあたしは思うな。遼みたいにね」

 遼は頬を染めて言った。「僕はイケメンじゃありませんけど?」

「素直に嬉しがったら?」亜紀は笑った。「高校生の頃の遼に似てるよ。何となく。持ってる雰囲気がね」

 

 

 高校三年生に進級し、新しいクラスで遼は、冷静な判断力と強い責任感、加えてえこひいきをしない誠実な人柄と柔らかな物腰が買われ、文句なしの学級委員長に選ばれていた。結局彼はその人望の厚さで一年生の時から三年間連続でクラスの学級委員長をさせられていたのだった。

 

 六月のある日、遼は生徒昇降口で途方に暮れていた。

「朝から降ってなかったから油断した……」

 そう独り言をつぶやいた時、背後からよく通る高い声がした。

「秋月くん」

 遼が振り返ると、小柄な女子生徒が頬を少し赤くして立っていた。

「あ、薄野さん」

 それは遼と同じクラスの薄野亜紀(すすきの あき)だった。

「雨が降ってるのに傘が無くて困っている。ってとこ?」

「あ、ああ」遼はばつが悪そうに頭を掻いた。

「これ、使って」

 亜紀はベージュ色の折りたたみ傘を遼に差し出した。

「え?」

「もう一本あるの」亜紀はそう言って左手にぶら下げていた傘を持ち上げて見せた。「それ、ずっと前に持ってきてて、ロッカーの中にしまってたの」

「そ、そう……」

 亜紀は小首を傾げて口角を上げた。「この花柄の方が良かった?」

「い、いや、こっちで……あ、ありがとう」

 遼は慌ててそう言うと、思わず亜紀から目をそらした。

「じゃあね。返すのはいつでもいいから」

 亜紀はそう言ってそそくさと靴を履いて、雨の中に愛らしいマーガレットの花柄の傘を広げて駆けていった。

 

 それが遼と亜紀との初めてのちゃんとした会話だった。

 

 

 ベッドの上で亜紀は遼の鼻の頭をつついた。

「遼は気づいてなかったかも知れないけど、あれがあたしの精一杯のアプローチだったのよ」

「え? そうだったの?」

「やっぱり……」亜紀は呆れた様に眉を下げた。

「あれのどこがアプローチだったんだよ」

「評判通りの鈍さね、遼」

 亜紀は笑った。

 

 

 薄野亜紀が貸してくれた傘は女性用でサイズが小さく、家に帰り着くまでに遼の左肩とバッグはしたたかに濡れていた。

「薄野亜紀さんか……いい人だな」

 玄関でぐっしょりと濡れた靴を脱ぎながら遼は言った。

 

 そんなことがあってから、遼は亜紀を気にするようになっていた。特別目を引くような美形ではないが、いつも穏やかな微笑みをたたえていた。友人も多く、しかし他人の意見に振り回されない芯の強さを持った女子生徒だった。遼と女子の委員長聡美が司会を務める学級の討議会でも、感情に流されず、義理にも折れずに正当な意見を落ち着いた口調で発表するので、クラスの話し合いがとてもスムーズに進んだ。遼は亜紀に対して次第に『いい人』以上の気持ちを持ち始めていた。

 遼が亜紀に対して感じているそんな気持ちは、他の男子も同じように持っていたようだ。亜紀は地味なビジュアルの割に、男子生徒からとても人気があるようだった。

 七月の初め頃から、同じクラスメートの狩谷省吾が亜紀に度々接近するのを目にするようになった。遼はその様子を見る度に、胸の辺りに焼け付くような熱い想いが渦巻くのを感じていた。そして気づいた時にはいつしか亜紀に言い寄る男は狩谷以外には見られなくなっていた。それは狩谷のヤツがライバルたちをことごとく排除したせいに違いないと遼は確信していた。

 サッカー部の主将を務めるその狩谷省吾という男は、遼の目にはがさつで声が大きく、粗暴な印象しか持てなかった。いつの間にか遼は、亜紀があんなやつとつき合ったりしたら、その聡明で穏やかな性格がねじ曲げられてしまう、と自分勝手に思うようになっていた。

 そう、自分でも気づかないうちに、遼は薄野亜紀のことばかりを考えるようになっていたのだった。

 

 あと数日で夏休みに入るという暑い日。その日も狩谷省吾はさしたる用もないのに、放課後亜紀を呼び止め、なんやかやと一方的に喋って、部活のバッグを肩に掛け直し、笑顔で手を振りながら廊下を小走りに駆けていった。

 遼は一大決心をして一人になった亜紀に声を掛けた。

「す、薄野さん」

 亜紀は振り向き、ちょっと驚いたように目を見開いて首を傾げた。

 遼が前に立つと、亜紀はにっこりと笑ってよく通る声で応えた。「はい、秋月くん」

「あの、は、話があるんだけど……」

「クラスメートが山ほど行き交うこの廊下で話すような内容? かな?」

 遼は赤くなってひどく困った顔をした。

 亜紀は相変わらずにこにこ笑っている。少しだけ頬を赤くして。

 遼はうつむきがちに小声で言った。「薄野さんは、その、か、狩谷省吾とつき合ってるの?」

 一瞬驚いたような顔をした亜紀は、すぐに破顔一笑して返した。「ううん。つき合ってないよ」

 遼は安心して大きなため息をついた。

 

 

「あの時点でバレバレだったわよ」

 亜紀はおかしそうに言った。

「そう? やっぱり?」

「男子って単純よね。すぐに顔と態度に出ちゃう」

「省吾からは何度もアタックされてたの?」

「貴男から告白された次の日に正式に申し込もうって、思ってたらしいわよ」

「聞いたの? 彼に」

「うん。同窓会の時にね」

「もし、僕が君に告白しなかったら、OKしてた? ヤツの申し込み」

「どうかな……自分でもよくわからない」

「気になってたの? 省吾のこと」

「少しはね」

「じゃあ、もしかしたら君はあいつとつき合って、もしかしたら結婚してたかも知れないのか……」

 亜紀はおかしそうに言った。

「何よ、今になってそんなことに嫉妬してるの? 遼」

「いや……」

 遼はバタンと仰向けになって頬をぽりぽりと掻いた。

「あれが狩谷君のやり方なんでしょうね。押して押して、相手をその気にさせて落とす、っていうのが」

「ヤツのあんなやり方は僕にはマネできないな」

「わかってる。そうじゃない秋月くんだって知ってたから、あたしOKしたのかも。元々好きな男子だったし」

「そうなの?」

「そうよ。傘を貸してあげた時にコクろうと思ってた。さっき言ったじゃない」

 遼は嬉しそうに笑った。「そうか……」

「狩谷君みたいに強引なのは苦手だしね……それにあの時の貴男の真剣な目と極度に緊張した表情にきゅんきゅんしてたし、とっても幸せな気分だった」

 亜紀は照れた様に笑った。

「もうがちがちに固まってたよ。僕にとってあの数分間がそれまでの人生で最高に緊張した瞬間だった」

「大げさね。でも、」亜紀は悪戯っぽく横目で遼を見た。「夏休み前っていうタイミングで交際を申し込むってことは、夏休み中に深い関係になりたい、って思ってるんじゃないのかな、とも思ったわよ」

「ち、ちがっ! あれは狩谷省吾に君を盗られたくなくて焦ったからあのタイミングになったんだよ」

「そんなこと言って……結局その夏休みに繋がっちゃったじゃない、私たち」

「そ、それはそうだけど……」

「シチュエーションが教科書通りだったね、あたしたちの初体験」

「教科書通り?」

「『夏休みのデート帰りの彼の部屋、家族は留守』って絵に描いたような状況」

 

 

 二人して遊園地に行った帰り、亜紀は、家族が出掛けてしまっていて誰もいない遼の家に招かれ、彼の部屋に誘い込まれた。

 下着姿の亜紀は遼のベッドに横たわっていた。部屋のドアの近くで背を向けてジーンズを脱いだ遼は、恐る恐る振り向いた。亜紀は背を向けて丸くなっていた。

 同じように下着一枚の姿になった遼はゆっくりとベッドに近づき、亜紀の太ももを撫でた。亜紀はビクン、と身体を震わせた。

「薄野さん……」

 亜紀は僅かに震えながらじっとしていた。

「あの、薄野さん」

 亜紀はくるりと仰向けになると、赤くなった顔で遼を睨みつけ、小声で言った。「この状況で『薄野さん』はないと思うけど?」

「えっ?」

「クラスメートなんだし、って言うかつき合ってる恋人同士なんだから『亜紀』って呼んでくれてもいいのに」

「そ、そうか。そうだよね」

 遼は小さな声で自分に言い聞かせるようにつぶやいた。そして亜紀の目を見つめて言った。

「いいの?」

「何が?」

「何が、って……」

 困ったようにベッドの横に立ちすくんでいる遼を上目遣いに見上げて、亜紀も小さな声で言った。「……いいよ」

 それから遼も亜紀も無言のまま、並んでベッドに横になった。

 遼は亜紀にゆっくりと覆い被さり、そっとその身体を抱いた。そして少し口を開いて、亜紀の唇と重ね合わせた。亜紀はぎゅっと目を閉じ、じっとしていた。

 遼は自分の唇を亜紀のそれに押しつけたまま、その背中に手を回し、ブラのホックを外した。戸惑うこともなく、器用に外した。

「(なんか、手慣れてる……)」

 そのままブラを取り去った遼は、露わになった亜紀の二つの膨らみを柔らかくその手のひらで包み込み、ゆっくりとさすった。

 亜紀はその時、恥ずかしさと共に、好きな人に触れられているという幸福感を味わうことができていた。今自分の肌に直に触れている男子は、今まで一緒に過ごしてきた様子から野獣のように乱暴になるタイプではないとは思っていたが、男とはこういう行為の時には豹変すると巷ではよく言われるではないか。亜紀はその不安も少しばかり抱いていた。しかし少し汗ばんだ遼の手のひらは温かく、不思議と安心できた。そしてその手がショーツに伸ばされる時には、今自分と肌を合わせようとしているこの男子が野獣になることはないだろう、と確信していた。

 事実遼はずっと慈しむように亜紀の身体を扱った。

 やがて二人は、その身体に何もまとわずベッドの上にいた。遼はベッドの脇にあるサイドテーブルの引き出しから正方形のプラスチックの包みを取り出し、それを破って中から薄いゴムの避妊具を取り出すと、硬く天を指しビクンビクンと首を振るその持ち物に被せ始めた。額に汗を掻きながら長い時間がかかって、ようやくその作業を完了した遼は、ごくりと唾を飲み込むと、きゅっと口を結んで亜紀を見下ろした。

 亜紀はそれを薄目で見て、この男子を可愛いと思ってしまった。そしてこの人に、好きな彼にこれからの行為の全てを任せよう、そう決心して目を閉じた。

「いくよ」

 遼は無声音でそう言うと、亜紀の両脚を広げさせ、その中心に自分の持ち物をあてがった。

「あ……!」

 亜紀は苦しそうに顔を顰めた。今まで誰にも触れられなかった場所に、熱く硬いものがあてがわれ、それが自分の身体の中に侵入してくる。

「んんっ!」

 閉ざされていたその場所が無理矢理こじ開けられる強い違和感を感じた亜紀は思わず仰け反り、呻いた。

 荒い息を繰り返しながら、遼は少しずつ、できるだけ亜紀に不安を与えないように慎重にその行為を続けた。だが、さっき慣れない避妊具を付けていた時に徒に刺激したせいで、彼は絶頂までもう少しという段階にまで来ていた。その時先端を少しだけしか亜紀の身体に挿入させていなかったが、腰の辺りが痺れ始め、すでに限界を感じ始めていた。

 

「も、もうイく……かも」遼は独り言のように言って歯を食いしばった。

 亜紀が秘部に感じる違和感はビリビリとした痛みに変わっていった。今まで感じたことのない、小さな無数の傷が刺激されるような痛みだった。亜紀は思わず顎を上げ、その身体をずり上げていった。亜紀の頭に押されて枕がベッドの下に落ちた時、その硬くて熱を持ったものがぐいっと谷間に押し入り、ひときわ激しい痛みを感じて亜紀は悲鳴を上げた。

 遼は亜紀の身体の両脇に両手を突き、小さく腰を動かし始めた。

 得体の知れない異物が自分の身体の一番敏感になっている場所に出入りしている。亜紀の腰は痺れ、いつしか痛みすら感じられなくなっていた。亜紀はひたすらその時間が早く過ぎ去って欲しいと願っていた。

 それから程なくして、遼の腰の動きがにわかに速くなり、その顎から亜紀の首筋にぽたぽたと汗が落ちた瞬間、遼の動きが止まり、その喉元でぐう、という音がした。

 遼は顔を紅潮させ、身体を激しく脈動させていた。

 いつしか亜紀の目から涙が溢れ、こめかみを伝っていた。

 

 遼はすぐに亜紀から身を離した。そして寄り添って横になり、その身体を優しく抱いた。

「ごめん、痛かった?」

 亜紀は泣きながら無言で何度も頷いた。

 遼はひどく申し訳なさそうな顔で、掛ける言葉を見つけることもできず亜紀の髪をぎこちない手つきで何度も撫でた。

 

 

「遼ってさ、」

 亜紀は遼に身体を向けた。

 両腕を後ろに組んで枕にしていた遼は目だけを亜紀に向けた。

「ん?」

「あんまりがっついてなかったよね」

「そう?」

「高校生の男子って、彼女とデートする度エッチしたいって思うもんじゃないの?」

「そ、そうなのかな……」

「あれから高校を卒業するまで、何度もデートしたけど、抱き合ったのは数える程度だったよね」

「高校生だったらそんなもんじゃない? 大人の目を盗んでやる行為だし」

「チャンスはいくらでもあったでしょ? あたしの部屋で二人きりになったりしたことも何度かあったし」

 遼はばつが悪そうに鼻の頭を人差し指で掻いた。

「あたしの身体、魅力なかった?」

「そんなことない」遼はかぶりを振った。「すごく、なんかこう、気持ちいいって言うか……」

「そうなの? だって卒業するまで、あたし遼とそんなことする度痛がってたでしょ? 男の貴男にとっては不満だったんじゃない?」

「男の僕にとって性的な快感は射精すれば味わえるから、その心配はないけどね。それよりも上り詰めた後の心理的な心地よさはいつもあったね」

「心理的?」

「うん。大好きな彼女と裸でくっついていられる、っていう満足感。物理的な距離感と心理的な距離感が合わさった幸福感だね」

「なに難しいこと言ってるんだか」

 亜紀は笑った。

「でも、君はずっと痛い思いをしてたんだろ? 嫌にならなかった?」

「あたしも心理的な気持ち良さの方が強かった気がする。身体の性的な満足感が得られるようになったのは高校を卒業してからかな。少しずつね」

「そうか……」

「短大生になったっていう開放感もあったかも」

「なるほどね。僕は当時も今も君を抱いている時が、なんて言うか一番安心できる時間なんだ」

「安心?」

「うん。行為の最中は、もうずっとすっごく気持ちいいし、盛り上がって弾ける時の幸福感も最高なんだけど、終わった後、君の身体を抱いているときには心から癒やされて落ち着けるんだ」

 亜紀はふふっと笑った。「そうね。今でも時々繋がったままうとうとしてるもんね、遼」

「ごめん、嫌だった?」

「ううん。あたしも好き、そうやって遼があたしの中で満足そうにしてるのって」