Chocolate Time 外伝 第3集 第7話

そのチョコを食べ終わる頃には


《第1章》「その警察官、秋月 遼」  《第2章》「その秘密の出来事は」     《第3章》「そのチョコを食べ終わる頃には」   

第2章「その秘密の出来事は」 1

 高校一年の秋。剣道部に所属していた秋月遼(15)は、他の部員に比べ、まだ華奢な体格だった。

 夏の暑さも遠のき、校庭の紅葉葉楓の葉が美しい紅色に染まりかけた十月初め、学校に教育実習生が三人やって来た。その中の一人、横浜の大学の教育学部で社会科を専攻しているという岡林利恵(24)が遼のクラスの担当になった。そしてそれから三週間の間、いつもは担任から受けていた現代社会の授業は利恵が代わりに受け持つことになった。

 彼女の二回目の授業で提出したノートが次の日に戻ってきた時、遼はそこに朱書でびっしりと書かれた内容に感動していた。今までの授業では、すでに初老の域に達した担任は味気ない検印を押して返すだけだったのだ。その上利恵の字は、今まで遼が見たことのないような整った、大人びたものだった。授業中も利恵は他の教科の現役の教師と比べても落ち着いた態度で、説明もとてもわかりやすかった。元々現代社会の授業が好きだった遼は、その授業の間、教科書よりも利恵の姿を見ている時間の方がはるかに長くなっていた。彼女がこの学校に来てからいくらも日が経たないうちに、遼は利恵に少しずつ興味を抱き始め、利恵と個人的にもっと語り合いたいと思い始めていた。

 

 利恵たち実習生が学校にやってきて三日目の放課後、学級委員長の遼は教室に残されていた出席簿を届けるために実習生の控え室を訪ねた。

 利恵は二客平行に並んだ長机のひとつに向かって実習ノートを広げていた。遼は背筋の伸びたその凜とした姿に図らずも心を熱くしていた。

「あら、秋月くん。どうしたの?」

 利恵は顔を上げて遼に微笑みかけた。

「あ、あの、出席簿を……」

「あらあら、私持ってくるの忘れてたのね。どうもありがとう」

 利恵は立ち上がり、遼のそばにやってきて、そのぶ厚い表紙の出席簿を受け取った。

 ほんのりと爽やかなハーブ系の香りがした。

「ちょっと話していかない?」

 利恵は遼を隣の椅子に座らせた。

 

 遼は授業のこと、部活のことなどを利恵に話した。そんなとりとめのないことでも、利恵は度々頷きながら微笑みを絶やさず訊いてくれた。濃紺のスーツを着ていた利恵は、話の途中で暑いねと言いながらおもむろに上着を脱いだ。

 実習生は利恵の他にも二人いた。そのうちの一人は理科専攻で、自身もまだ若く、クラスメートたちから青い青いと半分馬鹿にされている化学の男性教師中村に命令されて、ずっと理科室で専ら助手として働かされていた。もう一人は剣持という地元出身の体育の男子実習生だった。彼の専門は剣道で、遼も所属する剣道部の指導に毎日やって来ていた。

 利恵は大学を一浪していたので、他の二人の実習生よりも一歳年上だった。

 

 ドアが開き、大柄な剣持が入ってきた。一瞬立ち止まって遼と利恵の姿を見た彼は、タオルで汗を拭きながら奥まで歩き、そこに無造作に置かれたエナメルバッグを持ち上げ、肩に掛けながら言った。

「秋月、部活始まっぞ」

「はい。すぐ行きます」

 遼は慌てたようにそう答えた。

「おまえ、」剣持は立ち止まって振り返り遼の顔を見た。「技術はまだまだだけど目の真剣さと姿勢はなかなかのもんだ。磨けば強くなれると思うぞ」

 彼はそう言うと、ドアを開けてあっさり部屋を出て行った。

「じゃ、じゃあ、僕これで失礼します。いろいろお話を聞いて下さってありがとうございました」

 遼は立ち上がりぺこりと頭を下げた。その時遼は、ブラウスの一番上のボタンを外した利恵の首筋に光る汗を見て胸が熱くなるのを感じた。それはそのそばで輝く細い金のネックレスと共に強く彼の心に残ったのだった。

 

 教育実習が始まった週の金曜日、遼がふと道場の窓から外を見ると、利恵が校庭の木の陰に佇んでいた。耳にケータイを当てて誰かと話しているようだった。その表情はいつになく暗い感じで、時折頷きながら彼女はその口元に手をやった。

「(利恵先生何してるんだろう……)」

 部活が終わって、思い切って実習生の控え室のドアをノックした遼は、中からどうぞ、という声がしたので恐る恐るドアを開けた。利恵は中で現代社会の教科書と大きなノートを広げていた。

「先生……」

「あ、秋月くん。どうしたの? 何か用?」

「い、いえ、別に」

 遼は道場から見た寂しげな様子だった利恵にその訳を聞くつもりだったが、いざとなると何も言えずにドアの前で立ちすくんでいた。

「どうしたの?」

 遼の目は自然と利恵の首元に光るネックレスに向いていた。鼓動が訳もなく速くなってきたのに狼狽し、遼は結局自分が何も口に出せずにいることにいたたまれなくなって、くるりと利恵に背中を向けた。

「ごめんなさい」

 遼はドアを閉め、生徒昇降口の方に焦ったように歩き出した。数歩歩いた所で背後のドアが開く音がして遼は思わず立ち止まり、振り向いた。

 利恵が小走りで駆けてきて無言のまま遼に小さなメモを渡した。

 

 住所が書かれている。

 土曜日の部活の後、家を訪ねてくれと書いてある。

 

 遼の顔がかっと熱くなり、自らの心臓の音が耳元で聞こえ始めた。

 

 

 明くる土曜日の部活が13時頃に終わり、遼はメモの住所を頼りに利恵の家に向かった。

 そこはお世辞にも新しいとは言えないアパートだった。遼は二階に伸びる螺旋階段を上がり、三つある部屋の一番奥のドアの前に立った。

 ごくりと唾を飲み込んで、大きな白いエナメルバッグを肩に担ぎ直すと、遼は意を決して呼び鈴を押した。

 すぐにドアが開き、利恵が顔を覗かせた。

「いらっしゃい、秋月くん。上がって」

「お、お邪魔します……」

 部屋に足を踏み入れた時、あのすがすがしい香りが遼の鼻をくすぐった。

 

 六畳ほどの部屋の真ん中に白い小さなテーブルがあった。

「約束通り来てくれたのね。お昼、まだなんでしょ?」利恵が訊いた。

「は、はい」遼はかしこまって正座をしたまま答えた。

「じゃあ作ってあげるから、その間に汗流してきたら?」

「え?」

「部活帰りの男子高校生は世界で三番目に臭い、って言うでしょ?」

「そ、そうなんですか?」

 遼は顔を上げて申し訳なさそうな目をした。

 利恵はあはは、と笑った。「冗談よ。君自身が気持ち悪いでしょ? そのままじゃ」

 

 遼は利恵にフェイスタオルとバスタオルを渡され、玄関の横にある狭いバスルームに入った。

 

「か、辛い……」

 遼は舌を出して右手で扇いだ。そしてグラスに入ったコーラをごくごくと飲んだ。

「そんなに辛かった?」

 向かいに座ってフォークに巻かれたパスタを持ち上げたまま、利恵は申し訳なさそうに言った。

「唐辛子が舌に張り付いちゃって……」

「あらあら」

 利恵は笑った。

「でも、美味しいです。これ何ていうスパゲティですか?」

「ペペロンチーノ。私の大好物なの。週に一回は食べないと気が済まない」

「へえ」

「秋月くんは食べたことないの? このパスタ」

「たぶん……」

「ニンニクとローズマリー入りオリーブオイルとトウガラシ。味付けは塩こしょう。このシンプルさが素敵だと思わない?」

「初めて食べる料理だ……」

「お気に召した?」

「すごく美味しいです。病みつきになりそう」

「そう、良かった」

 利恵は上機嫌でその艶やかなパスタ麺を口に運んだ。

 

 遼は食べ終わった皿とカトラリーを台所に運んで、キッチンのシンクに置いた。

「あら、ありがとう。お行儀いいのね。家でもやってるの? 食事の後」

「はい。小さい頃から習慣に」

「そう。素晴らしいお母様ね。結婚しても奥さんに喜ばれるわよ」

 

 利恵が食器を片付け終わって、リビングに戻ってきた。

 遼はコーラのグラスを口に持っていきかけてすぐにテーブルに戻し、ふと口を開いた。

「そう言えば、ここ……」

「ん? どうしたの?」

「先生の家……なんですか?」

 利恵はにこにこ笑いながら首を振った。

「私の実家は県北の田舎なの。ここは今回の実習のために三週間だけ借りてるのよ」

「だからすっきりしてるんだ……」

 遼は部屋の中をぐるぐる見回した。

「うちの高校に通ってたんですか? 先生も」

「ううん。県北の高校」

「じゃあ、どうしてこの高校に?」

 利恵は僅かに目を泳がせ、少し焦ったように言った。

「ここには社会教育の権威がいらっしゃるでしょう?」

「え? 権威?」

「そう。この高校の校長先生は高校社会科のエキスパートなの。いくつか本も出されてる」

「へえ、知らなかった」

「だからその校長先生とお話がしたくてこの学校をわざわざ選んだのよ」

「そうか。先生って勉強熱心なんですね」

「まだ学生だからね」

 遼は今さらながら彼女が大学生で、将来教師になるためにここにいることを思い出していた。

 利恵はうふふと笑って遼のグラスにコーラを注ぎ足した。

 

「と、ところで、」遼はここに来てからずっと訊こうと思っていたことを口にした。「先生はどうして、僕をこの部屋に?」

「あのね、」

 利恵は二杯目のコーラを半分ほど飲んだ時、少し低い声で言った。

「秋月くんって、あたしのタイプなの」

「え? タイプ? タイプって?」

「今ドキの高校生はこの言葉使わないか」利恵は困ったように笑い、続けた。「好きなタイプ、見たり話したりしたくなる男性、ってこと」

「えっ?」

 遼はにわかに赤面した。

 利恵は遼のすぐ横に来て座り直した。

「秋月くんは私のこと、どう思ってるの?」

 遼は言葉を失い、思わず正座をして膝に置いた拳をぎゅっと握りしめた。

「学校でよく絡んでくるけど……」

「えっと……」

 利恵は遼の目をじっと見つめた。頬がほんのりと赤く染まっている。

「貴男が構わなければ……」

 利恵はじっと遼の目を見つめ、膝に置かれた彼の手を取り、両手で包み込むようにした。それからその手を自分の胸の膨らみにそっとあてがった。

 ぼっ、と顔から火が出たように、遼の全身が一気に熱を帯びた。

「あ、あの、先生……」

「秋月くんが好きになっちゃったみたいなの。私も……」

 

 床に延べられた布団の上で、どちらも下着姿の遼と利恵は寄り添って横になっていた。遼はそのままがちがちに固まっていて、落ち着かないように目をくるくると動かしていた。

「大丈夫よ、秋月くん。緊張しないで」

 利恵は遼の耳元でそう囁くと、裸の胸を手のひらでゆっくりとさすった。

 あの爽やかな香りが利恵の身体から漂ってきた。遼は思わず鼻をくんくんと鳴らした。

 利恵の手のひらはなめらかで温かいと遼は思った。自分の心臓の高鳴りがその手によって悟られるのが妙に恥ずかしかった。

「初めてなの?」

「は、はい……」遼は絞り出すような声で言った。

「私が教えてあげる。ほら、脱いじゃおう」

 利恵は身体を起こし、遼が身につけていた唯一のものをするするとその脚から抜き去った。

「私も脱ぐね」

 利恵はそう言って、ブラのホックを後ろ手に外し、躊躇うことなく穿いていた小さなショーツも脱ぎ去った。そうして部屋の隅にあったティッシュボックスを枕元に置いた。

「鼻血が出そうです、先生」

 利恵は吹き出した。

「あはは、すごい、秋月くん。そういうジョークが言える余裕があるんだね」

「いや、ほ、ほんとに……」

 遼は自分の口と鼻を右手のひらで覆った。左手はずっと自分の秘部にあてがわれていたが、大きく硬くなり始めたペニスを隠すことなどとっくにできなくなっていた。

「最初はキスから。ほら、手をどけて」

 利恵は遼の右手をそっとどかすと、その固く結ばれた唇に、自らの柔らかな唇を押し当てた。

 んっ、と呻いて遼は反射的に目を閉じた。

 利恵は遼の上で四つん這いになり、ゆっくりと時間を掛けてその行為を続けた。そして次第に震えていた遼の唇の力が抜けてほんの少し口が開いたのを確かめた利恵は、体重をかけて遼の身体に覆い被さり、両手を彼の背中に回しゆっくりと撫でながら舌をその口に差し込んだ。

 いつしか二人の唾液が混じり合って遼の頬を伝った。

 遼の身体を流れる血は沸騰寸前だった。腰の辺りがじんじんと痺れ、鼓動も激しく、速くなっていた。利恵が口を離した時、遼は呼吸過多のようにはあはあ、と荒い息を繰り返した。

 利恵は遼から身体を離し、仰向けになった。

「秋月くん、きて……」

 遼は焦ったように身体を起こし、広げられた利恵の両脚に手を掛けた。

「場所、わかる?」

 利恵の問いかけに答えることなどできない程に、遼は昂奮していた。

 覆い被さってきた遼のペニスを右手で握った利恵は、そのまま自分の潤った谷間に導いた。

「ここ……」

 遼は両手を利恵の両脇に突っ張り、焦ったように腰を突き出した。

 ああん! と大きな喘ぎ声を上げて、利恵は身体を仰け反らせた。

 遼の武器は、ぬるりと一気に利恵の身体の奥深くまで到達した。

「いいよ、秋月くん、そのまま動いて、思い切り」

 利恵がそう言い終わるのを待たずに、遼は腰を乱暴に上下させた。

「ああ、すごい! 秋月くん、感じる! 奥の方が、ああ!」

 利恵は目を閉じてはあはあと喘ぐ。

――そして間もなく。

「先生っ!」

 ずっと無言だった遼が叫んだ。

「イって! 遠慮しないで!」

 遼の腰の動きが止まり、利恵の中に深く入り込んだ彼の武器の先端から激しく熱い液が放出され始めた。

 うぐううっ!

 遼は全身をびくんびくんと大きく脈動させながら歯を食いしばっていた。

 利恵の身体の奥深くに、強烈な勢いで若く熱い精液が満たされていく。

 

 はあはあと肩で息をしながら遼は利恵と繋がり合っていた。身体を離そうとした遼の背中を反射的にぎゅっと抱きしめた利恵は耳元が言った。

「まだ、そのままでいて」

 遼は利恵の首筋に鼻を擦りつけた。

「いい匂い……先生の匂い」

「どんな?」

「なんかハーブ系の、爽やかなすっとした……」

「ローズマリー。若返りのハーブ」

「ローズマリー?」

「そう。さっき食べたパスタもこの香りがしてたでしょ?」

「ローズマリー……」

 遼はもう一度鼻を鳴らしてその香りを吸い込み、目を閉じて安心したようにため息をついた。

 

 その日から遼は堰を切ったように利恵のアパートを訪ね、二人は熱く火照った身体を重ね合わせた。遼は平日、部活が終わると友だちの家で勉強して帰る、と自宅に電話をし、利恵を抱き、抱かれた。

 

 

 教育実習期間最後の週の木曜日。

「秋月くん、昨日は貴男の誕生日だったんでしょ?」

 全身に汗を掻き、利恵と遼は一人用の布団に並んで横たわり、荒い息を整えていた。

「はい」

「ご家族に祝って頂いた?」

「ケーキが一つと、今年は新しい竹刀でした」

「そう。良かったね。でも私からは何もプレゼントできなかったね、ごめんね」

「そんな気を遣わなくても……」

 遼は沈んだ声で言った。

「どうしたの? 何だかいつもと違う。暗い雰囲気」

 利恵は遼の顔を覗き込んだ。「どうかした?」

 遼はぷいと利恵に背中を向けた。

「秋月くん?」

「利恵先生は、」遼はくぐもった声で口を開いた。「明日にはここからいなくなるんでしょ?」

 利恵は遼の顔を自分に向けさせた。

「そうね。大学に帰らなきゃ」

 遼の目には涙が滲んでいた。

「寂しいです、僕……」

「私も……」

「また会えますか?」

 利恵はひどく切ない顔をして首を振った。

「もう……」

「また会いたい……」

 遼はこぼれた涙を乱暴に拭って、利恵を睨みつけた。

「ごめんなさい。けじめをつけましょう」

「けじめって何?」遼は大声を出した。「何のけじめなんですか?」

「大人としての……けじめ」

 遼は唇を噛みしめながら利恵の目を睨みつけていた。

「君が初めて食べたペペロンチーノと同じ」

「え?」

「初めてのものって、ありきたりのものでも美味しく感じるってこと」

「ありきたりって……」

「ペペロンチーノはパスタの中でも『絶望のパスタ』って言うらしいわ、本場イタリアではね」

「絶望の?」

「どんなに貧乏でも作れるパスタ、っていう意味らしい。ソースがシンプルすぎて、レストランにも出ない程なんだって」

 遼はむっとした顔で利恵から目をそらした。

「たぶん……秋月くんは私のことが好きになってたわけじゃない。そうでしょ? 女の身体に興味があって、我慢できなくなったところに、初めての体験をした。抑えきれない身体の疼きが秋月くんの行為を後押しした、ってことなのよ」

「わかってた」遼が言った。「最初はそうだった。でも先生は卑怯だ、こうして何度も僕の身体を満足させてくれたら、好きにならないわけないじゃないか」

 利恵は震える声で返した。

「ありがとう。ごめんね」

「先生は僕のことが好きだったわけじゃないんですか? 好きでもない男とこんなことしても平気なんですか?」

 利恵の目からも涙がこぼれた。

「ごめんなさい。秋月くん。私、寂しさを埋めたかったの」

「寂しさ?」

 利恵は横になって向き合った遼の胸に顔を埋め、背中に回した腕でその身体を抱きしめながら言った。

「ずっと黙ってたけど、私には婚約者がいるの」

「えっ?!」遼は思わず叫んだ。

「彼は先月、事故で脊髄を痛めて下半身不随になっちゃったの。つまり――」利恵は一度言葉を切って一つため息をついた。「私を抱くこともできなくなった」

「先生……」

「女だって身体が疼くことがある。誰かにこの身体を慰めて欲しかった」

 遼は自分の身体を抱き、小さく震えているその人に掛ける言葉を見失っていた。

「わかって、秋月くん……」

 遼は狼狽していた。

「先生、今そんなことを言われたら……」

 利恵は顔を上げて遼の目を見つめた。

「だから、もう一度……最後にもう一度」

 

 二人は激しく唇を重ね合い、舌を絡め合った。そして遼は先生、先生、と呼びながら、利恵は秋月くんと何度も叫びながら、その熱くなった肌を重ね合い、きつく抱きしめ合い、すぐに深く繋がり合って全身でお互いの想いを、最後の想いを確かめ合った。そうして遼が利恵の中で弾けた時、二人は同じように全身を痙攣させ、もう二度と巡り来ない哀しく、甘美なクライマックスを迎えた。

 

 明くる日、実習最終日の午後、実習生の退任式が体育館で催された。式の間中、遼は涙をこらえていた。クラスでのお別れの会の後、廊下で利恵は遼を呼び止めた。

何も言えずに佇む遼の肩に手を置いて、利恵は微笑みながら穏やかな口調で言った。

「秋月くんのお陰で充実してた。学校でもプライベートでも」

 そして遼の顔を覗き込んで、ウィンクをした。

 唇を噛みしめ、遼は泣きそうになっていた。利恵は耳元で囁くように言った。

「じゃあね。素敵な時間をありがとう」

 ローズマリーの香りがした。

 遼の肩から手を離し、利恵は遼の手を取った。

 遼の目からこらえきれずに涙が溢れ、リノリウムの床にぱたぱたと音を立てて落ちた。

 利恵は手に持っていた小箱を遼に差し出した。

 上目遣いで利恵を睨みながら、遼はかすれた声で言った。

「何ですか? これ」

「チョコレート」

「チョコ?」

「大人のブランデー・チョコレート。大人になった秋月くんに私からのプレゼント」

 遼は鼻をすすってその箱を受け取った。

「そのチョコを食べ終わる頃には、私への思いも忘れてるわ、きっと」

「忘れるわけないよ……」遼はうつむいて小さな声で言った。

「もし、またどこかで会えたら、私が貴男を誘ったもう一つの……」

 利恵の言葉を遮り、遼は赤くなった目で利恵を睨みつけ、叫んだ。

「もう先生になんか会いたくありません。さようなら」

 遼は乱暴に涙を拭い、剣道道場の方に駆けていった。