Chocolate Time 外伝 第3集 第7話

そのチョコを食べ終わる頃には


《第1章》「その警察官、秋月 遼」  《第2章》「その秘密の出来事は」     《第3章》「そのチョコを食べ終わる頃には」   

第3章「そのチョコを食べ終わる頃には」 1

 冬の入り口の十二月初め。『シンチョコ』に二人の女性が訪れた。チョコレート・ハウスという性質上、バレンタイン・デーの前後と並んで、年内でも最も忙しい時期に差し掛かっていて、店内のディスプレイにも力が入っていた。エントランスの外の両脇に大きなクリスマスツリーが置かれ、色とりどりのオーナメントが飾り付けられている。店内に入ると目の前にも輪を掛けて大きなツリーがしつらえられ、根本付近には大小様々なプレゼント包装の箱が並べられ、『Merry Christmas !』と書かれたきらきらと輝く金色のプレートがその梢のすぐ下に掛けられている。

 

「ケニーさん、こんにちは」

 冷蔵の商品棚にブランデー・チョコレートを補充していた店主ケネスは腰を伸ばして振り向いた。

「おや、珍しい組み合わせやな。海晴ちゃんに亜紀ちゃん。いらっしゃい」

「珍しいかな。よく二人で出掛けるよ」海晴が言って、喫茶スペースの窓際のテーブルに亜紀と向かい合って座った。「こないだも二人で『アンダンテ』でランチしたし」

「何がええ?」

「今日はシナモン・ティーいただこうかな」海晴が言った。「亜紀ちゃんは?」

「あたしはいつものカフェモカ」

「毎度おおきに」

「あ、それからブランデー・チョコもいただこうかな」海晴が言った。

「え? どうしたんです? いきなり」亜紀が訊いた。

「さっきケニーさんが並べてたの見て、食べたくなっちゃった」

 ケネスは軽い足取りで厨房に入っていった。

 

「ちょっとケニーさん、一緒に座ってよ」

 テーブルに二つのカップと小皿に乗せたブランデー・チョコレートを運んできたケネスに海晴が言って、亜紀の横の椅子に移動した。

「なんや? 何か話があんのんか?」

「あるの」

 ケネスは二人に向かい合って座り、コーヒーカップを持ち上げた。

「金を貸せ、っちゅう話やったらお断りやで」

「チョコレート長者の大富豪のくせにケチね。大丈夫。あたしもまだそこまで貧窮してないわ」

 海晴は笑った。

「で?」

「口裏合わせをお願いしに来たんです」亜紀が言った。

 ケネスは眉間に皺を寄せ、あからさまに迷惑そうな顔をした。

「なんやそれ、穏やかな話とちゃうやんか」

「まあ聞いて」海晴はにこにこ笑いながらカップを持ち上げた。

 亜紀が身を乗り出し、ケネスの目を見ながら囁くような小さな声で言った。

「篠原先生の坊ちゃんの遙生くんの本当の父親がうちの遼だってことは、本人には絶対に言わないで欲しいんです」

「そんなことはわかっとる……って、亜紀ちゃん! な、なんでそないなこと知っとるねん!」

 ケネスは思わず椅子を蹴飛ばして立ち上がり大声を出した。

 海晴が人差し指を口に当ててケネスを元通り座らせた。

「あたしが暴露したの。それでこないだ篠原先生と剛さんとうちらで話し合ってさ、事実を共有したの」

「何もかもか?」

「そう、利恵先生と遼との過去と遙生くんの出生の真実について、何もかも」

「あ、亜紀ちゃんは平気やったんか? 遼くんに隠し子がおる、っちゅうことやんか」

 亜紀は肩をすくめた。

「だって、それってあたしが遼とつき合う前の話なんですもの」

「とは言えやな……」

「ちょっと嬉しい、かな」

「嬉しい? なんでやねん」

「あの可愛いイケメンの遙生くんが近い存在になったってことです」

「非常識に前向きやな……」

 海晴が言った。「そんな訳で、このことを知っている人間はあたしたち四人とケニーさんとこだけにしといてね」

「まあ、それは構わんけど……」

 

 その時、ドアが開いて、遼が顔を覗かせた。

「こんにちは」

 ケネスと海晴と亜紀は思わず顔を見合わせ、吹き出した。

「絶妙なタイミングね。噂をすれば何とやら……」

 ケネスが立ち上がり、遼を店の中に招き入れた。

「寒いから早く入れよ」

 遼が後ろを向いてそう言うと、彼の背後にいた遙生が身を縮めて両手に息を吹きかけながら店内に足を踏み入れた。

「あれー、遙生くんも一緒?」

 亜紀が楽しそうに言った。

 遙生を先に店内に入らせた遼が驚いて言った。

「ん? 亜紀に姉貴、なんでここに?」

「女子会、ってとこかな。ケニーさんも無理矢理つき合わせてたの」

「すみません、ケニーさん、うちのかしましい女性たちを相手にしてもらっちゃって」

「かしましくて悪かったね」海晴が言った。

 遼は遙生の背中に手を当てて、隣のテーブルの椅子を勧めた。遙生は亜紀と海晴に向かってぺこりと頭を下げこんにちは、と言って座った。

 亜紀も海晴もにこにこしながらそれに応えた。

 海晴が訊いた。

「遼、なんで遙生くんと二人で?」

「部活中、篠原先生からケータイに電話があってさ、家族で食事に行くことにしているけど、今出先だから、部活が終わったら遙生を『シンチョコ』に連れて行って待たせておいてくれ、迎えに行くから、って言われたんだ」

 海晴は亜紀に耳打ちした。「作為的だよね」

「計画的ですね」

 

「何か飲む? 遙生」

「コーチは?」

「僕はいつもコーヒー」

「じゃ僕も」

「やめとけ」

「なんで?」

「子供にはまだ早い」

「僕、子供じゃないし」

「背伸びするな。ここはチョコレートハウス。絶品のホットチョコレートにしな」

 遙生は口を尖らせて、少し不満げに言った「……わかった」

 遼はケネスに目を向けた。

 ケネスはにこにこしながら一つ頷いた。「毎度おおきに」

 

 隣のテーブルで亜紀と海晴は満足そうにカップを傾けていた。

「ほのぼのしちゃう」

「ほんとですね」

 遙生がそのテーブルの上にあったチョコレートを目ざとく見つけた。

「あ! チョコだ、いいなー」

 亜紀が言った。

「食べてみる? 遙生くん」

「やめといた方がいいぞー」

 遼が呆れた様に眉尻を下げ、口角を上げた。

 亜紀に手渡されたブランデー・チョコレートを口に入れた遙生は思わず顔を顰めた。

「うえ! カラい! それに全然甘くない」

「言っただろ」

 遼は笑った。

 海晴も笑いながら言った。

「遙生くん、これはオトナのチョコ」

「中に入ってるのはお酒? もしかして」

「そう。ブランデー」

「ブランデー?」

 ケネスが二つのカップを遼と遙生が座ったテーブルに置いた。

「ブランデーにはな、遙生、チョコと同じく豊富なポリフェノールが含まれとってな、そのお陰で美肌効果があんねん。その上糖質ゼロ。そやからお年頃の女性には最適なんや」

「なによ、『お年頃』って、嫌味な言い方」

 海晴はケネスを睨んで頬を膨らませ、チョコレートをつまんだ。

 ケネスは笑った。「この芳醇な香りにはリラックス効果があって、質の良い眠りを保障してくれるんやで。まだ子供には早いけどな」

「僕にはムリ。苦すぎ。シンチョコのアソートの方がいい」

 遙生はそう言って、前に置かれたカップのホットチョコレートを慌てたように飲んだ。

「おまけにその香りには脂肪を燃焼させる効果もある、っちゅう話やで」ケネスは亜紀と海晴に向かってウィンクをした。「ちょっと嘘っぽいけどな」

「何が言いたいのかさっぱりわからない。ねえ、亜紀ちゃん」

 海晴が眉間に皺を寄せて言った。

「それにしても遼くんと遙生、ほんま仲良しやな。よう似とるし。まるで親子みたいや」

 遼は顔を上げて照れた様に言った。「よく言われます」

「遙生のこと、遼くんジュニアとでも呼びたいぐらいやわ」

 後ろのテーブルで亜紀と海晴は大笑いした。

「はー、あったまるー」遙生は少し頬を赤くして、向かいに座った遼をちらりと見た後、安心したようにホットチョコレートのカップを両手で包み込んでほっとため息をついた。

 

 コーヒーを飲みながら、遼は向かいに座った遙生に問いかけた。

「遙生は将来何になりたいんだ?」

 カップを両手で包み込むようにしながら、遙生は目を上げた。

「コーチみたいに警察官になりたい」

「ほう。どうして」

「だって、みんなを守るかっこいい仕事じゃん」

「危険な目にも遭ったりするんだぞ」

「一日中机に座って、自分が役に立ってるかどうか実感できない仕事なんかより、ずっとやり甲斐はあると思うけど? コーチはどうして警察官になろうと思ったの?」

 遼は少し考えて言った。「大切な人を守りたい、って思ったことがきっかけかな」

「大切な人って? あっちにいる奥さん?」

 遙生は海晴と一緒に座っている亜紀を横目でちらりと見た。

 遼は照れた様に頷いた。

「そういう理由なんだね。コーチらしいね」

 遙生は嬉しそうにホットチョコレートをすすった。

 

 店のドアが開けられ、軽やかなカウベルの音がした。遼は目を上げた。

「ごめん、待った?」

 利恵が剛と二人で店内に入ってきた。そして海晴と亜紀に向かって揃って小さく手を振った後、遙生がホット・チョコレートを飲んでいるテーブルの横に立った。

 遙生は母親を見上げて口を尖らせた。「なんだ、もう来たの?」

「なによ、その言い方」

「もうちょっとコーチと話をしときたかったのに……」

 剛は笑った。「おまえ、本当に遼のことが好きなんだな」

「警察官だから」

 遙生は笑って親指を立てた。

「予約してた時刻までもうちょっとあるから、まだいいよ」

 利恵が言って遙生の横に座った。剛は遼の隣に座った。

「剛兄さん、もっと早く教えてくれても良かったのに。この町に住んでるってこと」

 剛は肩をすくめた。

「なんだかんだで言いそびれててな。いずれいずれ、って思ってたらずいぶん時間が経ってた」

「ねえねえ、父さんと秋月コーチっていとこ同士なんでしょ? 小さい頃は一緒に遊んだりしてなかったの?」

 剛が遙生の頭を撫でながら言った。

「遊んでたさ。横浜からこの町に来られるのが楽しみだったよ」

「でもさ、いとこ同士って、こんなに顔が似るものなの?」

 遙生は遼と剛の顔を見比べた。

「ほんとにね」利恵がにこにこしながら言った。「兄弟でもここまで似てる人は少ないかもね。お父さんが少し痩せてしゅっとしたらもっと似るかも」

「悪かったな、しゅっとしてなくて」

 遙生は笑った。

「だから僕も秋月コーチに似てるって言われるんだね」

 遙生はそう嬉しそうに言ってカップのチョコレートを飲み干した。

剛と利恵は思わず顔を見合わせ、口角を上げた。

 

「さて、そろそろ行くぞ、遙生」

 剛が言って妻と息子を促した。

「うん。じゃあね、コーチ、つき合ってくれてありがとう」

「楽しんできな」

 遼も立ち上がると遙生の肩を軽く叩いた。

 

 店を出たところで、利恵は見送りに出ていた遼の横に来て、言った。

「秋月くん、近いうちに相談に乗ってくれないかな」

「え? 相談ですか?」

「んー……相談って言うか。聞いて欲しいことがあるの。個人的なことだけど、いいかな……」

「遠慮しないで下さい。市民の不安の解消のお手伝いをすることも警察官の重要な役目です」

「ありがとう。じゃあ、交番を訪ねる前に電話するね」

「わかりました」