Twin's Story "Chocolate Time" 外伝第3集 第4話

アダルトビデオの向こう側


《7.帰宅》

 明くる日、香代はケンジと一緒に閉店後の『シンチョコ』を訪ねた。

「ケニーさん、お久しぶりです。こんな形でお会いすることになるなんて……」

 香代がひどく申し訳なさそうに言った。

「元気そうやな。何よりや」

 ケネスはにこにこしながら香代の手を取った。

 

「話は聞いた。ほんで、一つだけ香代さんに確かめたいことがあんねん」

「何でしょう」

「あんさんが家を出て、志賀のおやっさんに手紙を書いたやろ? その内容が知りたいんや。覚えとるか?」

「はい。私今でもはっきり内容を覚えています。『事情があってしばらく家を出ます。四年後に必ず帰ります。約束します。その間どうかそっとしておいて下さい。将太をくれぐれもよろしくお願いします』って書きました」

「中身がちゃうな」

 ケネスが厳しい顔で言った。

「おやっさんの話やと、好きな男ができたからもう二度と家には帰らん、てなことが書いてあったらしいで」

「ええっ! そんな……」

「手紙がすり替えられとる」

「間違いないな」ケンジも険しい顔をして言った。

 

「林の仕業……」香代はうつむいて歯ぎしりをした。

「覚えがあんのか?」

「はい。夫の借金返済に関わることを引き受けていた弁護士の林という男に、私手紙を預けたんです」

「借金? 稔さんが借金してたんか?」

 香代は首を振った。「全くのでたらめです。夫に借金なんかありません。それに林が弁護士というのも嘘。その上夫の同級生だと偽って私を騙し、金づるにするために黒田というAVプロダクションの社長とグルになって、無理矢理私を女優として働かせていたんです」

「と、とんでもないやっちゃな!」ケネスは固く握った拳を震わせた。

 

 それから香代は家を出てから今まで四年間の出来事を洗いざらいケネスに告白した。

 

 ケンジが横から言った。「結局脱税と未成年者略取・監禁、詐欺の罪で警察のご厄介になったらしいぞ、その林と黒田夫婦」

「極悪人やな。よっしゃ!」

 ケネスが膝を打った。

「わいが志賀のおやっさんにほんまのこと伝えたる」

「そうしてくれ、ケニー」

「香代さん、ほんまつらい目に遭うたな、あんさんには何の罪もあれへんのに……」

 ケネスは香代を静かにハグして、震える声で言った。

「大丈夫、わいに任せとき。将太にもあんじょう言うて聞かせるよってにな」

「ありがとうございます、ケニーさん……」

 ケネスに肩を抱かれたまま、香代は涙をぽろぽろとこぼしていた。

 

 

 明くる日、志賀工務店の事務所を訪ねたケネスは、香代が家を出なければならなくなった経緯と、その後彼女の身に降りかかった出来事を建蔵に話して聞かせた。

 

「わしは……」建蔵はうなだれてケネスと向かい合っていた。「香代さんに土下座せにゃならん」

「おやっさんも、ある意味騙されとったんや。そないに落ち込むことあれへん」

「香代さんが家を出た時、草の根分けてでも探し回るべきじゃった。そうしていればあの人に四年間もそんなつらい思いをさせずに済んだっちゅうのに……」

「もうええ。とにかく香代さんを昔通りに迎え入れてやってな」

「わかっとるよ」

 

「姫野君には何て言うつもりや?」

「夫の稔を失った香代さんが新しい相方を見つけたちゅうことだろ? 祝福してやらんでどうする」

「心が広いな、さすがおやっさん」

「香代さんとその彼氏と話し合うて、これからのことを決めるよ」

「一緒に住むんか?」

「わしとしてはその方がいいが、二人が所帯持ってどこか別のところで暮らしたいと言えば、それを拒むわけにはいくまい」

「そうやな」

 建蔵は眉尻を下げた。

「すまんなケネス。おまえにはいつも世話かけてしもうて」

「なんのなんの、わいにできることをやっとるだけやんか」

 ケネスは立ち上がり、建蔵の肩を軽くたたきながら笑った。

「将太にも香代さんが帰ってくることを知らせなあかんねけど、おやっさんどないする? わいが説明したってもええで?」

「いや、わしから話して聞かせるよ」

 ケネスはにっこり笑った。

「そうか。ほな」

 

 

 香代は四年ぶりに志賀家の玄関先に立っていた。

 引き戸を開けると、軽やかな音がした。その手に感じる振動や音が香代の時間を一気に早戻しして、心ならずもここを出て行った日が、まるで昨日のように思われた。

 

 檜の香りのする広いしんとした玄関に香代が足を踏み入れた時、二階からどたどたという足音とともに将太が駆け下りてきた。そして彼女の前に立った。

 小さくただいま、と言った香代の目を無表情のまま見つめていた将太は、彼女が靴を脱ぐやいなや無言でその腕を掴み、二階への階段を急ぎ足で上った。香代は前のめりになって将太に引っ張られながら後をついて行った。

 

 二階の和室は、将太が高校時代まで使っていた部屋だった。六畳の広さで、彼が当時使っていた机もタンスもそのまま置かれていた。少しかび臭い空気がひっそりと息を凝らすように満ちていた。

 

「座って、母ちゃん」

 将太はゆっくりと低い声で言った。

 香代は緊張した面持ちで畳の上に座った。

 天井から下げられたペンダントタイプの蛍光灯の紐に手を掛けたが、将太はすぐに手を離して、そのまま香代の前に向き合って座った。

 南向きの窓は埃をかぶった水色のカーテンで閉ざされ、部屋全体が青みがかった薄暮の海のような薄暗さだった。

「将太……」香代は今にも泣きそうな顔で逞しく成長した息子の顔を見つめた。

 突然将太は母親の身体をきつく抱きしめた。その瞬間から香代の目から止めどなく涙が溢れ始めた。

 香代も彼の背中を両手でぎゅっと抱いて震える声で叫んだ。「将太、将太! ごめんなさい、ごめんなさい、母さんを許して、将太!」

 香代の両肩に手を置いて身を離した将太は香代を睨み付け、かすれた低い声で言った。

「許さない! 俺、許さないから!」

 そして出し抜けに香代を畳の上に押し倒すと、その唇を自分の唇で塞ぎ、激しく吸い始めた。

 驚いて目を見開いた香代は、それでも息子のその行為にどんどん身体を熱くしていった。

 

 いつしか二人の舌が絡み合い、将太の手が香代の着衣越しにその乳房をさすった。そして将太は香代の身体中の匂いを執拗にくんくん嗅ぎながら乱暴にそのブラウスの襟に手を掛け、焦ったようにボタンを外していった。

 身体を離して自分のシャツを脱いだ将太の怒りに満ちた顔を見て、香代は怯えたように言った。「将太、やめて……」

 

「許さない」

 将太はまたそう叫んで、香代の着衣を次々に引きはがしていった。

 

 香代は全裸にされて畳に横たわっていた。将太も穿いていたジーンズのハーフパンツを脱いで下着一枚の姿になると、タンスの一番下の引き出しを開け、丸まった黒いものを取り出した。

 香代を見下ろしながら将太はそれをぶら下げて見せた。

 

 それは黒いパンストだった。

 

「母ちゃん、これ、穿いて」

 差し出されたそれを香代は躊躇いながらも手に取り、立ち上がって息子に言われるがままにそれを身につけた。

 おもむろに将太は穿いていた下着を脱ぎ去った。彼の中心にあるものは天を指し、びくびくと脈動していた。

 

 将太は香代を再び乱暴に押し倒して覆い被さり、また激しくキスをした。それから彼は香代の二つの乳房の先の硬くなった乳首を交互に吸った。ぎゅっと固く目をつぶり、額に汗を掻きながら一生懸命になって幼い頃に大きな安心感を与え続けてくれていたその乳房を彼は吸った。

 香代は自らが腹を痛めた実の息子に身体を弄ばれながらも、沸き上がる熱い気持ちを抑えるのに限界を感じ始めていた。そして思わず両脚を広げた。

 

 将太は口を離し、香代の穿いているストッキングのフロント部分を手で引き裂いた。そして露わになった母親の秘部に口をつけ、しきりに舌で舐め回した。クリトリスを捉え、重なった襞を唇で押し開きながら。

 ああ、と激しく喘ぎ続ける香代の秘部からは、糸を引きながらとろとろした液が絶え間なくしたたり落ち、畳を濡らした。

 

「来て、将太」

 香代は小さく口にしていた。

 将太は無言のまま今にも泣き出しそうな顔で自分のペニスを握り、彼女の谷間に押し当て、ゆっくりと挿入させていった。

「あああーっ!」香代は身体を仰け反らせ、大きく喘ぎ声を上げた。「将太、将太!」

「母ちゃん!」将太は一声叫ぶと、激しく腰を動かし始めた。

 香代は最愛の息子の名を何度も呼びながら、身体の中をめまぐるしく渦巻く沸騰した激流に身を委ねていた。

 

「イ、イく……出る、出るっ!」

 将太の動きが一段と激しくなった。彼は汗だくで歯を食いしばり、腰の動きをさらに加速させた。

「将太! 来て、母さんの中に!」

 将太は香代の身体に倒れ込んで、唇同士を重ねた。

 そしてぐうっ、と喉元で呻いて腰の動きが止まり、将太の中にあった白いマグマが香代の体内に激しく放出され始めた。

「んんんんーっ!」

 香代は将太と唇を重ね合ったまま、全身を痙攣させながら大きく呻いた。

 

 

 はあはあと大きく胸を上下させ、二人は抱き合っていた。

 

 やがて鼓動が落ち着くと、将太は香代を抱いたままごろりと横に回転して、彼女を自分の上に乗せさせた。

 香代の目を間近で見つめながら、桜貝のように頬を染めて将太は照れくさそうに言った。

「叱ってよ、母ちゃん、俺を」

「え?」

「俺がちっちゃい頃、悪さした時にやってくれたようにさ」

 

 香代は下になった息子を睨んで小さな声で言った。

「こら、将太。だめでしょ、こんなことしちゃ」

 将太は切なそうに笑った。「全然怖くない。効果なしだよ」

 香代も頬を震わせながら小さく笑った。

 

「許してあげるよ」

 将太は優しい声で言って、香代の背中に腕を回した。

 香代の目からまた涙がこぼれ、将太の頬に落ちた。

「もう泣かないでよ」

「将太だって」

 香代はそう言って、自分の涙と一緒になって耳元を流れている将太の涙をそっと指で拭った。

 

 

 将太と香代は繋がり合ったままだった。

「このパンスト」

 将太は香代のその言葉を受けて恥ずかしげに言った。

「母ちゃんのタンスから盗んだ。母ちゃんがいなくなってから、俺、このパンストの匂いをよく嗅いでた」

「そうなの……」

「よせばいいのにさ。そんなことする度に俺、母ちゃんに強烈に会いたくなったり、憎んだり、悔しがったりしてたんだ」

「将太……」

「本物の母ちゃんの匂い……やっぱり実物がいい」

 将太は上になった香代の身体を抱き寄せ、目を閉じて香代の胸に顔を埋めた。

「将太はいつまでも甘えっ子……もう二十歳なのに」

 香代はくすっと笑って将太の頭を撫でた。将太は目を上げ、照れたように言った。

「当たり前だろ。死ぬまで俺は母ちゃんの子どもなんだから」

 

 

 立ち上がり服を着直した将太はカーテンを開けた。春の陽が眩しく差し込み、部屋はまるで別の世界のように光に満たされた。

 振り向いた将太は眉尻を下げて言った。

「ごめんね、母ちゃん。乱暴しちゃって」

 香代は首を横に振った。

「いつの間にか大人になってたのね、将太」そして顔を赤らめた「すごく……気持ちよかったよ」

 将太は一気に赤面した。

「彩友美には内緒にしといて、お願い」

 そして将太は手を合わせて香代を拝んだ。

 

「将太、彩友美さんとのなれそめって?」

 畳に横座りをした香代のすぐそばに将太も足を投げ出して座った。

「強烈なんだよ」

 将太はおかしそうに言った。

「強烈?」

「そう。でも母ちゃんのお陰」

 香代は面食らったように言った。

「なに? どうして私のお陰?」

「実はさ、」将太は手を後ろに突いて顔を天井に向けた。「高校時代、俺、荒れてたんだ」

 香代は申し訳なさそうな顔で将太を見た。

「私があなたを置いて出て行ったらから……よね?」

 将太は小さくうなずいた。

「三年の時の担任だったのが彩友美。でね、反抗的だった俺を心配して、真剣に関わってくれてた彩友美に、俺ずっと乱暴してたんだ」

「乱暴……してた?」

「そうなんだ」

 将太はひどくつらそうな顔をした。

「いやがる彩友美の服を無理矢理脱がせて、その……」

「えっ?」

「誰もいない音楽室で、俺……」

「ほんとに?」

「俺も彩友美も今では思い出したくないこと、ずっとやってた……」

 将太はうつむいた。

「だけど彩友美は俺の気持ちを受け入れてくれて、ケニーおっちゃんにも殴られて目が覚めた」

 

 目を合わせずに頭を掻いていた将太の手を取って、香代は言った。

「将太がそんなに苦しんでいたなんて……ごめんなさい、ほんとに……」

「母ちゃんが謝ることないよ。母ちゃんの方がずっと辛い目にあってたわけだし」

 将太は香代の目を見た。

「だから、俺にとっては彩友美は恩人なんだ。ケニーおっちゃんも、それに母ちゃんも」

 香代は切なそうな目で将太を見つめ返した。

「将太は恵まれてるのね。周りの人に」

 将太は満足そうにうなずき、母親を柔らかな瞳で見た。

「母ちゃんもだろ」

 

 

 香代と拓也は揃って『シンチョコ』にケネスを訪ねた。

「ほんま、良かったで、香代さんが元に戻れて」

 ケネスは爽やかな表情でコーヒーカップを持ち上げた。

「ケニーさんにはほんとにいろいろお世話になってしまって……」

 香代は至極恐縮したように言った。

「それにケンジさんたちにも」拓也が言った。

 ケネスは頬を緩めた。

 

「拓也君はケンジたちのセラピーDVDも撮ったカメラマンなんやて?」

「はい。使って頂きました」

「えらい評判なんやろ? そのDVD」

「主役のケンジさんたちが素晴らしいからですよ」

「いやいや、ケンジもミカ姉も言うてたで、実物を遙かに超える美しい映像やって」

 拓也は恐縮したように頭を掻いた。

「ほんで今もAVの仕事続けとるんやろ?」

「はい、でも先月から他の仕事もしてます」

「手を広げたっちゅうわけやな?」

「地元のテレビ局の仕事を少し頂いて……ありがたいことですね」

「ほんまやな」

「テレビ局のディレクターに僕のことをご存じの方がけっこういらっしゃって」

 拓也は頬を指でぽりぽりと掻いた。

「さすがやな。君が凄腕のAVカメラマンやっちゅう情報を仕入れとるディレクターもやけど、そこまで名が知れ渡っとる拓也君も」

 香代は誇らしげに隣に座った背の高いパートナーに目を向けた。

「そや! わいが商工会に推薦したるわ」

 ケネスはにこにこしながら言った。

「え? 推薦?」拓也は小さく首をかしげた。

「すずかけマイスターや。こんな才能埋もらしとくわけにはいかんやろ? なあ香代さん」

「あ、ありがとうございます、ケニーさん、そんなことまで……」

 拓也はしきりに恐縮して身を縮めた。

 

「そうそう、志賀のおやっさん、工務店の敷地に一戸建てを建設中なんやて?」

「はい、そうなんです」

 香代は困ったような顔をした。

「君たちの新居なんやろ?」

「なんか、申し訳なくて……」

「ま、当然の判断と行動やな。おやっさん、相当嬉しいんやで」

 ケネスも笑顔をほころばせた。

「これであの敷地には母屋の他に一戸建ての家が二軒並ぶわけやな。将太たちのと君らのと。まるで住宅展示場や」

「母屋とは二軒とも回廊で繋ぐって仰ってました、お義父さん」

「回廊? なかなか粋やな。住宅展示場言うより温泉宿かリゾートホテルやな、まるで」

 三人は笑った。

 

 

「もう籍も入れたんやろ?」

「はい。先週」

「でも、私」香代が恥ずかしげにケネスを上目遣いで見た。

「どないしたん?」

「年末にはおばあちゃんになるんです」

「へ?」

「彩友美さんが妊娠三か月」

「なんやて? ほんまに?」

 ケネスは思わず立ち上がった。

「そしたらおやっさん、ひいじいさんになるんかいな! こりゃめでたいわ!」

 

 

 朝からよく晴れていた。

 『志賀工務店』のシンボルツリー、大きなケヤキの木の下に置かれたベンチに香代と将太は並んで座っていた。枝のあちこちですでに蝉が鳴き始めている。

 

「今日も暑くなりそうね」香代が言った。

「母ちゃんの誕生日、明日だね。幾つになるんだっけ?」

「40よ。将太の丁度二倍」

「ほんとだ」

「彩友美さんももう安定期だから安心ね」

「うん。でもまた実感がないんだ。自分が父ちゃんになるなんてさ」

「誰だってそうよ」香代は笑った。「母さんが貴男を産んだ時もそうだったもの」

「そうか」

 将太は照れたように頭を掻いた。

 

 

「ねえ、将太」

「なに?」

 香代は小さな声で言った。

「私、再婚しても良かったのかな……」

「どうしたの? 今さら。俺、そんなこと全然気にしてないよ」

「そう……なの?」

「母ちゃんが拓也兄ちゃんと再婚しても、俺の父ちゃんは父ちゃんのままだよ。それはそれ」

 香代は将太を愛しそうに見た。

「将太が拓也のことを『兄ちゃん』って呼んでくれて、母さんほっとしてるの、実は」

「一回りしか違わない人を『父ちゃん』なんて呼べないでしょ」

 将太は笑った。

 香代は将太の目を覗き込みながら言った。「じゃあ私は姉ちゃん?」

「歳が倍になる人を姉ちゃんなんて呼べないよ」

「まー将太ったら」

 香代は息子の頭を乱暴に撫でた。

 

「ねえ、将太、お願いがあるの」

「ん? なに?」

「拓也を家族として迎え入れてやってね」

「当然じゃん。母ちゃんの夫だろ? 立派な家族じゃん」

「そうね、家族だよね、私たちの」

 香代はひどく切ない顔をして、将太の手を取った。

 

「明日盛大にバースデーパーティやるからね、母ちゃんの」

「盛大に?」

「うん。『海棠アミューズメント・プラザ』のレストランで。いっぱい人呼んでるから」

 将太は楽しそうに笑った。

 

 

「乾杯!」

 将太が叫ぶと、円形のテーブルを囲み、立ち上がった参加者は一斉にグラスを掲げた。

 

 テーブルの中央に大きなチョコレートケーキが乗せられている。もちろん『Simpson's Chocolate House』のアトリエでケネスが作ったものだ。

 その中心に40という数字をかたどった蝋燭が立てられている。

 

「おめでとー!」

 参加者は口々にそう言いながら、香代の持つグラスに自分のものを触れさせた。

「ありがとうございます、皆さん」

 すでに香代は涙ぐんでいた。

「泣かないの、母ちゃん。相変わらず涙もろいな」

 右隣に立った将太が恥ずかしそうに言ってポケットからハンカチを取り出し、母親の目を優しく拭った。

 

香代の左に座っているのは拓也、そしてケンジ、ミカ、海山和代。将太の右に彩友美、建蔵、ケネス、マユミ。

 円卓なので、マユミの右隣が海山和代だった。

 

「ねえねえ、マユミ先輩」

 海山和代がスモークサーモンを刺したフォークを持ったまま訊いた。

「なあに?」

 マユミはワイングラスを持ち上げて応えた。

「ケンジさんが高校時代つき合ってたっていう、当時すでに深い仲だった彼女って誰だったんですか?」

 その会話に気づいたケンジが、思わず立ち上がって言った。

「まだ拘ってるのか、それにっ」

「当時も今もあたしがよく知ってる人だって、ミカさんが……」

 

「あたしだよ」

 マユミは満面の笑みで和代に囁いた。

 

「え?」

 海山和代は今マユミが言った言葉の意味がとっさに理解できなかった。

「兄妹で愛し合ってたんだよ。今だから言うけどね」

 そしてマユミはワインを一口飲んだ。

「えええっ?! ま、まさか……そ、そんな」

 海山和代は思わず立ち上がっておろおろした。

「和代、おまえもそないに動揺すること、あんねんな」

 ケネスが面白そうに言って、テーブルのミートローフにフォークを伸ばした。

 海山和代は真面目な顔になって、ケンジに目を向けた。

「ケンジさん、今度詳しくお話を聞かせて下さい。論文書きます。『近親者の恋愛における心理的・遺伝的傾向について』」

「ばか! 大声出すな。まだ知らない人もいるんだからな!」

 ケンジは慌てた。

「もう時効でしょ? ケン兄」

 マユミはにこにこ笑いながらサラダのオリーブを口に放り込んだ。

「時効ですよね」

 ケンジにウィンクを投げた後、海山和代は椅子に座り直し、隣のマユミに耳打ちした。

「びっくり仰天。その深い仲のマユミ先輩本人に、あたし告白の相談をしたんですねー。いやーまいったまいった」

 そして頭を掻いた。マユミは笑いながらまたワインを口にした。

 

 その時、ケネスの胸ポケットのスマホが震えた。

 なんや、お楽しみ中やのに、とぶつぶつ言いながらケネスは席を立った。

 

「和代先生」

 拓也が言った。

「先生の病院の名前の『マール・イ・モンターニャ』ってどういう意味なんですか?」

「スペイン語で『海と山』っていう意味なんだよ、拓也君。あたしの名字」

 海山和代が指を立てて言った。

「へえ」

「どうしてわざわざスペイン語?」

 隣のミカが訊いた。

「英語にすると『シー・アンド・マウンテン』」

「ああ、下のテナントのアウトドア・ショップの屋号と同じ」ミカが手を打った。

「あっちの方があたしの開業よりちょっとだけ早かったんですよねー」

「なるほどな」

 ケンジが言った。「巷では『マルモン・クリニック』って呼ばれてるじゃないか。まるでパチンコ屋か宗教団体みたいな通称になってるぞ」

「そうなんですよー」

 海山和代は困った顔をした。

 

 テーブルに戻ってきたケネスが両手を挙げて大声で言った。

「皆さん、嬉しいお知らせがあります」

 一同は手を止めて一様にケネスを見た。

 ケネスはそこにいる参加者を見回しながら言った。

「姫野拓也くんがすずかけマイスターに認定されました」

 わあ、という歓声とともに一斉に拍手が巻き起こった。

「やったね、拓也兄ちゃん!」

 将太はそう言って香代の目の前で拓也の手を取り、大きく振って握手をした。

「しかもいきなりゴールドランクやで。たいしたもんやな」

 ケネスは上機嫌で椅子に座り直し、ワイングラスを手に取った。

「いやあ、めでたいね、姫野君」ケンジも言ってグラスを目の高さに持ち上げた。「乾杯」

「ケニーさんが推薦して下さったお陰です。ほんとにありがとうございます」

 拓也は立ち上がってケネスに向かって最敬礼をした。

 香代が目を潤ませて言った。

「今日は私たちにとって最高の日です。皆さん、ありがとうございます」

 

 拓也が申し訳なさそうにケネスに目を向けた。

「でも、その、AV界に足を突っ込んでる僕がこんな名誉を頂いてもいいんでしょうか……」

「そないなこと関係あれへん。純粋に君のカメラの腕が評価されたっちゅうことやんか。商工会も市もそないに度量小そうないで」

 ケネスは自慢げに笑った。

「将太、」建蔵が孫に目を向けた。「おまえも気張って働いて、ゆくゆくはこうして世間に認められるような職人になるんだぞ」

 将太は苦笑いをした。「拓也兄ちゃんのせいで宿題が増えたね」

 建蔵は上機嫌でグラスの焼酎のお湯割りをごくごくと半分程飲むと、隣に座った彩友美に目を向け直した。

「彩友美さん、お腹の赤ん坊は順調に育っとるのか?」

「はい、お陰さまで、お爺様」

「大事にしてやらにゃいかんぞ、将太」

「わかってるって」

「おまえも父親になるんじゃな」

「じいちゃんはひいじいちゃんだね」

 将太は楽しそうに言った。

「ってことは、」ケンジが言った。「香代さんはおばあちゃんで、拓也君はおじいちゃんになるわけだな」

「僕、三十二でおじいちゃん呼ばわりされるんですかー」拓也は困った顔をした。

「生まれてくる子に何て説明しましょうか……」

 彩友美は悩ましい顔をした。隣の将太はそんな妻のお腹を優しくさすった。

「予定日はいつ?」ミカが訊いた。

「十二月の初めです」

「元気な赤ん坊産んでな」ケネスが言った。「和代、頼んだで」

「わかってますって」

 海山和代は不必要にふんぞり返った。

 

「そうだ、あたし提案がありますっ」

 海山和代は身を乗り出し、ハイハイと叫びながら左手を高く上げた。

「なんだよ、提案って」隣のミカは遠慮なく眉間に皺を寄せた。

「拓也君と香代さんも子供を作って欲しい」

「はあ?」

 ケンジが怪訝な顔を海山和代に向けた。

 香代が困ったように言った。

「で、でも私もうこんな歳だし、高齢出産になっちゃいますよ、和代先生」

 海山和代は楽しそうに言った。

「大丈夫。あたし以前香代さんを診察した時、その身体の若々しさに驚きましたもん」

「ほんまに?」

 ケネスが訊いた。

 海山和代は大きくうなずいた。

「まだまだ大丈夫。あたしが責任持って赤ちゃん取り上げるから産んで、香代さん」

「何だよ、その軽いノリ。他人事だと思って……」

 ケンジが呆れたように言った。

「それに、」海山和代は過剰にはしゃいだ。「もし生まれたら、将太君の子供より年下になるってことでしょ? 香代さんにとっては自分の子供が孫より年下ってことになって、話題になるじゃないですか。面白そう!」

 すぐにケンジが言った。

「面白がるなっ!まったく、いいかげんにしろ」

「ええ話じゃな。わしにとっちゃあ、孫もひ孫も変わらん。子供は多い方が賑やかだからな。わははは」

「おお、おやっさんも前向きやで」ケネスも楽しそうに言った。

 将太が恥ずかしげに言った。

「じいちゃん、ちょっと飲み過ぎだよ」

「あなたのおじいちゃん、家族が増えてすごく嬉しいのよ、将ちゃん」

 マユミがにこにこ笑いながら言った。

 

8.家族
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