Chocolate Time 外伝第3集 第5話

 

デザートは甘いリンゴで 14.エピローグ


 「何だよ、急に俺たちを呼び出して」

 健太郎が眉間に皺を寄せて、テーブルの反対側に座ってにこにこ笑っている真琴を睨んだ。

 真琴は黒いスーツ姿だった。9月の21歳の誕生日の明くる日、彼女は仕事帰りに『シンチョコ』に立ち寄り、真雪と健太郎を呼び出したのだった。

 「どう? 仕事はもう慣れた? マコちゃん」健太郎の隣に座った真雪が言った。

 「うん。看護師長さん、とっても親切で、あたしも気兼ねなく働ける」

 「あなたの病院に入院してた人がお店にやってきてね、言ってたよ、マコちゃんのこと」

 「え? 何て?」

 「すっごく明るく接してくれる看護師の女の子がいて、自分はいつもその子に元気をもらってた。お陰で予定より早く退院できたって」

 「あたしのこと?」

 真雪はうなずいた。

 「おまえのその性格に合ってるんだよ、看護師っていう仕事」

 健太郎が微笑みながら言った。

 

 ここシンプソン家のケネス、マユミの間に生まれた健太郎、真雪の双子の兄妹は25になっていた。二人ともすでにそれぞれのパートナーと結婚している。

 

 「でも、確かおまえ、将来は先生になる、とか言ってたのに、結局看護学科のある高校に進学したよな。何かあったのか? 考えを変える転機みたいなのが」

 「そうねえ、お父さん見てて教師は大変だって解ったことが一番かな。看護師も同じように人と接する仕事だし、お母さんにも勧められた」

 「なるほどね」

 「真雪お姉ちゃん、お腹の赤ちゃんは順調?」

 「うん。もう安定してる」

 真雪は自分の下腹をさすった。

 「さすがに双子ちゃんだけあって、お腹、大きいね。予定日は12月だったよね?」

 「そうよ」

 「大事にしてね」

 「ありがとう」

 真雪はカップを持ち上げた。

 「で、俺たちに何か話したいことが? 真琴」

 健太郎が促すと、真琴は身を乗り出し、目を輝かせて大声で言った。

 「そうそう、聞いて聞いて、ケンお兄ちゃんに真雪お姉ちゃん。ショッキングなニュースなの。あたしの人生で最大の」

 「ショッキングって言ってる割には、嬉しそうね」

 真雪は呆れたように笑った。

 「どんなニュースなの?」

 「少し落ち着いて話してくれ、真琴」健太郎が言ってコーヒーをすすった。

 

 「あたし、お父さんの子じゃなかったの」

 

 ぶーっ!

 健太郎は派手にコーヒーを噴いた。

 「な、何ですって?!」真雪は驚いて思わず立ち上がった。

 「ね、すごいでしょ?」

 真琴はにこにこ笑っている。

 「い、いや、すごいってマコちゃん……」

 「ちょ、ちょっと待て、そ、それって一体……」

 健太郎が焦りながら言った。

 「あたし、お母さんと誠也にいちゃんの娘なんだって。昨日教えてもらった」

 

 健太郎、真雪兄妹は絶句して目を皿のように見開き、固まった。

 

 「あたしもねー、怪しいとは思ってたんだよ。お母さんと誠也にいちゃん、妙に仲良しでさあ、よく手を繋いでるし、台所でいちゃついたりしてるし」

 健太郎がようやく口を開いた。

 「せ、誠也さんって、確か数年前に英明おじさんの養子になったんだろ?」

 「そ。養子縁組でね。だからその段階であたしと誠也にいちゃんは兄妹になってたわけ」

 「それがいきなり誠也さん、マコちゃんのお父さんだって明かされたわけなの? 意味がよくわからないんだけど」

 

 テーブルに肘を突いて顎を支えた真琴は、夢みるように天井を見上げて語り始めた。

 「その昔、MとSが出会った。運命の出会いだった。Mは24、Sは22」

 「それが美穂おばちゃんと誠也さんなの?」

 「そ。その時二人の間に火花が散って、急接近」

 健太郎が眉間に皺を寄せて言った。

 「火花っていうのは、普通敵対する者同士の間で散るもんなんだよ、真琴」

 真琴は構わず続けた。

 「その時Mには婚約者Hがいた。あ、これが英明お父さんね」

 「わかってるよ。わざわざイニシャル使わなくてもいいだろ。本名で語れよ」

 「そして結婚式の夜、MとSは偶然再会し、なんと、想いが燃え上がった二人は、衝動的にラブホに飛び込み、なだれ込むように抱き合い、唇を求め合い、その熱く火照った肌を重ね合い、一つに繋がってお互いの身体を貪り合った」

 「おまえ、語り口がエロ過ぎだ」

 健太郎は顔を赤くしていた。

 「その繋がって貪り合った結果があたし」

 真琴は自分の鼻を人差し指でつついた。

 「その夜にできたってこと? なんでわかるの?」

 「だって、あたしがMのお腹に宿った時期から逆算するとそうなるんだって」

 健太郎はいらいらしたように言った。「だからMじゃなくて『美穂』でいいよ、頭の中でいちいち変換するのが煩わしいよ」

 「わかったよ、もう」ちっと舌打ちをして真琴は続けた。「美穂と誠也が愛し合ったのはその時が初めてで、次に再会して貪り合ったのは五年後。その時あたしは幼児。幼稚園に行ってた。だから初めてのエッチであたしができちゃったってことで間違いないでしょ?」

 「でもどうして英明おじさんじゃなくて誠也さんの子だってわかるの?」

 真琴は背筋を伸ばし、右手の人差し指を立てて静かに言った。

 「英明は『無精子症』なのだった」

 「ほ、ほんとに?」真雪は思わず口を押さえた。

 真琴は少ししんみりとしたように続けた。「そのことが解ったのはあたしが中学生だった頃なんだって。お母さんに黙って診察を受けてわかったらしい」

 「どうして美穂おばちゃんに黙って診察を?」

 「元々セックスに対して超淡泊で、性的な快感も持てなかったお父さんは、お母さんの身体を満足させられないことを悩んでて、何とかしようと一人で思い詰めてたって言ってた」

 「なるほど」

 「でもさ、その時あたしっていうもう中学生の娘がいるのに、あなたに精子を作る能力はありません、なんて言われたわけでしょ? お父さんのショックは大きかったよね、きっと」

 「想像に余りあるな……」健太郎が険しい顔で言った。

 「マコちゃんは自分の子じゃなかった、ってことだもんね……」

 「でもね、お母さんはお父さんをずっと変わらず大切にしてたし、優しくしてたし、あたしに対してもすっごくいい母親だったから、お父さんもそのことをだんだん考えないようになっていったんだって。大人だよね」

 「そうは言っても」真雪が切なそうな顔をした。「でもやっぱりずっと気に掛かってたんだと思うな」

 「あたしもそう思う。で、そんなある日、お父さんは誠也にいちゃんとお母さんが車でラブホから出て来るのを偶然目撃! ちゃらりー!!」

 「効果音なしで頼むよ」健太郎が言った。

 「そしてお父さんは自棄になって、あろうことか職場の若い女先生との不倫に走った」

 「ええっ? ほんとに?」

 「って、そんなことばらしていいのかよ、俺たちに」

 「信頼できるお二人だから話すんです」真琴は上目遣いで二人を見ながら馬鹿丁寧な口調で言った。

 

 「でもやっぱりだめだった」

 真琴はふうとため息をついた。

 「だめって?」

 「お父さん、性的に不能だから、その相手の同僚の人も満足させることができずに破局。もう自己嫌悪に陥ったって。無理もないよね」

 「追い詰められてたのね、英明おじさん……」真雪はさらに切なそうな顔をした。

 「でもね、それから思いが変わっていったって言ってた、お父さん。誠也にいちゃんとお母さんがそういう関係であることを赦そうと思ったんだって。お母さんをセックスで気持ち良くしてあげられない自分の代わりを誠也にいちゃんに頼んだ、ってことね」

 「そうか……」

 「その上であたしが二人の娘だってことがはっきりすると、その後もお母さんの身体を満足させることを誠也にいちゃんに任せて夫婦関係を続けよう、って約束し合った」

 「そういうことかー」

 健太郎は手をこまぬいて何度もうなずいた。

 

 「でも、こんなワイドショーみたいな話、よく娘のマコちゃんに聞かせてくれたね」

 「いつか話さなきゃ、って三人とも思ってたらしいんだ。でもあたしちょっと勘づいてた」

 「そうなのか?」

 真琴はうなずいた。

 「あたしが中学を卒業する間際に、一階の北側に一部屋増築して誠也にいちゃんが一緒に住み始めたの、知ってるでしょ?」

 「ああ、そうだったね」

 「あれから時々その部屋から貪り合うエッチな声が聞こえてきてたんだ」

 「盗み聞きしてたのか? おまえ」

 健太郎がまた顔を赤くして責めるように言った。

 真琴はにっこり笑ってVサインを出した。「年頃だったから」

 「ショックじゃなかった? マコちゃん」

 「うん。お母さんに誠也にいちゃんを盗られて大ショックだった」

 「いや、そうじゃなくて、自分の母親が父親じゃない男性と、その、エッチしてる事実を知ったことでだよ」

 「そうねえ」真琴は割に涼しい顔で頬をぽりぽりと掻いた。「まあ、大人だし、そんなこともあるかなって」

 「何だよその軽い反応」

 「初めは誠也にいちゃんがよそから誰か知らないオンナを自分の部屋に連れ込んでエッチしてるのかって思ってた。そっちの方がショックだった」

 「ふむ……」

 「でも、相手がお母さんだってわかったら、なんか安心できちゃったんだ」

 「どうしてわかったんだ? まさか覗き見してたとか」

 健太郎は怪訝な顔で真琴を睨んだ。

 「いつかチャンスがきたら覗いてやろうとは思ってるけどね」

 真琴はウィンクをして笑った。

 「あたしが高二の時だったっけか、下でお風呂に入ってたら、まさにその最中の声が聞こえてきたわけ」

 「ど、どういう?」

 「息を殺して耳を澄ましてたら『誠也、誠也、来て』『美穂、イく、出、出る』って。もう丸聞こえ。あの二人盛り上がってくるとお互いの名前を大声で呼び合うの。増築した部屋は厳重な防音処理が施してあるはずなのにまるで効果なし」真琴は笑った。「それからも度々あたし隣の部屋で盗み聞きしてたもん。また繋がって一つになってお互いの身体を貪り合ってる、ご盛んだこと、って」

 

 真雪も健太郎も真っ赤になって言葉を失っていた。

 

 真琴はひょいと肩をすくめた。「まあ、あの二人歳も近いしね。一緒に住んでたらそんな気になるのかな、ぐらいに思ってたんだよ」

 「おまえ、理解のあるよくできた娘だな」

 「ありがと」

 「こういうのを『理解がある』っていうのかな……」真雪は頭を抱えた。

 

 そこまで言って、真琴はようやく目の前のココアを飲んだ。

 「ぬるくなっちゃったでしょ? 入れ直そうか?」真雪が言った。

 「大丈夫。あたし猫舌だから。パパと一緒で」

 「パパ?」

 「あたし、昨日この話聞いてから、誠也にいちゃんのことをパパって呼ぶことにしたの。お父さんは今まで通りお父さん」

 「羨ましいな」真雪がにっこり笑ってカップを手に取り、言った。「マコちゃんのことを愛してくれるお父さんが二人もいるんだね」

 「お父さんとも、もちろんパパとも血が繋がってるしね」

 真琴は二人の父親譲りの愛らしく垂れた目を細くしてあははと笑った。

 

 「でも一つ気がかりだったのが『真田誠也』の扱い」

 「扱い?」

 「あたしにとっては実のパパでも戸籍上は家族じゃないわけでしょ? でも一つ屋根の下に住むわけだし。元々お父さんとパパとは親族なんだから、もういっそのこと家族にしちゃえってことで彼は養子になって『増岡誠也』になったんだよ」

 「確かに誠也さんは一人だからね。ご両親は二人ともいらっしゃらないし」

 「実はね、誠也にいちゃんをお父さんの養子にしてくれ、って頼んだ人がいるの」

 「頼んだ人?」

 「そう」真琴は静かに目を閉じた。

 

 

 「義兄さん、お久しぶりです」

 英明は前に立ったその細身の男性に右手を差し出した。

 「英明君、済まない、いきなり呼び出したりして」

 その男性、真田裕也(59)は英明の手を握り返した。思いの外温かく、柔らかな感触だな、と英明は思った。

 二人は琥珀色の照明に浮かび上がった窓際の丸いテーブルに向き合って座った。窓の下には街の夜景が広がっている。

 「姉さんの葬儀の時以来ですね」

 「そうだね。随分と時間が経ってしまった。君はもう校長先生なのか?」

 英明は照れくさそうに笑った。

 「僕はそんな器じゃありませんよ」

 「でももう50過ぎたんだろ?」

 「校長試験は受けてますけどね。まあ、決めるのは上ですから」

 英明はコーヒーのカップを持ち上げた。

 裕也は英明の目をじっと見つめながら言った。

 「息子の誠也は……元気にしてるだろうか」

 英明はカップをソーサーに戻し、穏やかな顔を前に座って心配そうな表情をしている裕也に向けた。

 「ほんとはこちらから義兄さんにはご報告しなきゃいけなかったんですけど、彼は今、僕たち家族と一緒に暮らしているんです」

 裕也の表情がふわりと和んだ。

 「そうか……それは良かった。あいつも来年で40になるわけだし、ずっと一人で生活するのも寂しいだろうと私はずっと心配していたんだ。安心した」

 裕也はふうとため息をつき、手元のカップを持ち上げた。

 「結婚はしてないのか? ヤツは」カップをソーサーに戻して裕也は訊いた。「母親を亡くしてからすぐに結婚した女性とは別れてバツイチだってことは風の噂で聞いて知っていたが」

 英明は数回瞬きをして、微笑みながら言った。「あれから結婚願望はないみたいです。僕たち家族の一員として暮らすのが最善だって本人も言ってました」

 そうか、と言ってうつむき、裕也は独り言のようにつぶやいた。

 「あの子がそのつもりなら、それでもいいか」

 裕也は再びカップを持ち上げてコーヒーをすすった。

 「義兄さんは、今は?」

 「うん、初江と離婚してから医者に通ってアルコール依存症の治療に専念したが、ずいぶん長くかかったよ」裕也は自嘲気味に笑った。「実家の両親にも迷惑をかけた」

 「お仕事は?」

 「どうにか、細々とだけどね、実家の農業を継いでやってるよ」

 「そうですか」

 「じきに再婚もするつもりだ。遅まきだが……」

 「それは良かった」

 英明は微笑みを裕也に向けた。

 裕也はテーブルの上で指を組んで静かに語り始めた。

 「初江が亡くなった後、私はしばらく鬱状態だったんだ。喪失感が半端なくてね。抗うつ薬も処方してもらってた。依存症の次はうつ病。もともと心の弱い人間なんだろうね。その時もやっぱり一番の心配は息子の誠也のことだった。でもそんな状態の私にできることなど何もない。会いたいと思う気持ちも封印していた」

 英明の胸が痛んだ。

 「そうだったんですか……辛かったですね……連絡してくれれば僕らにできることもあったのに」

 「いや、君たちに迷惑をかける訳にはいかない。元々そうやって初江とは離婚したわけだし」

 裕也はじっと目を閉じてしばらくの間黙っていた。

 「ずっと音信不通だったが、ある日偶然街で息子にばったりと会ったことがあるんだ。もう10年以上前のことだが……」

 英明は躊躇いがちに訊いた。

 「誠也は……何か言ってましたか? その時」

 「いや、短い時間の立ち話で大した会話はしてない。もう長いこと会ってなかったし、私には負い目もあったし。それに何より共通の話題などほとんど無かったからね。でもあいつ、すっかり大人になっていて、頼もしいと思ったよ。予備校に勤めているって言ってたが」

 「はい。今も」英明は一つうなずき、安心したように小さなため息をついた。

 「その時、誠也はにこにこ笑いながら『父さんに食べさせてもらったリンゴの味は忘れてないよ』って言ってくれたんだ」裕也は目を潤ませた。「あの子に『父さん』と呼ばれるのは何年ぶりだろう、とその時思ったよ」

 「リンゴ?」

 裕也は昔を懐かしむような目で言った。

 「父親らしいことは何一つしてやれなかったが、あの子がまだ3、4歳の頃だったか、高熱を出して寝込んでいた時にリンゴを剥いて食べさせたことがあるんだ」裕也は照れたように目をしばたたかせた。「赤い顔をして弱ってる息子を見てるとかわいそうで……その時私にできることはそれくらいしかなかった。それをあいつは覚えててくれたんだよ」

 「なるほど、そういうわけだったのか」

 英明は小さく何度もうなずき、コーヒーをすすった。

 

 薄暗い店内を見回して、英明は言った。「なかなか洒落たラウンジですね。よく利用されるんですか?」

 「いや、」裕也は目を伏せた。「私はもう酒とは縁を切ってるから、こんなところに来ることはない」

 「この場所に僕を呼び出した理由が?」

 顔を上げた裕也は切なそうに英明を見つめた。

 「ここは私が初江に結婚指輪を渡した場所なんだ」

 英明は今にも泣きそうな裕也の目を見つめ返した。

 「そう、このテーブルで、こうして向かい合って……」

 「そうだったんですね……」

 「思えばあの瞬間が、私と初江の一番幸せな時間だったのかもしれないな。誠也も彼女のお腹の中で、一緒にそこにいた」

 そして裕也はまた目を伏せた。

 「その指輪は安物だったが、私の精一杯の彼女への想いだった。内側に二人のイニシャルが彫ってあるのを見て、初江は嬉しそうに笑ってた。今でもはっきり覚えているよ」

 裕也はそっと右手で涙を拭った。

 「お酒は飲まないのか? 英明君は」

 「嗜む程度ですね」

 「せっかくこういう所に来てるんだ。何か頼んだらどう?」

 「いえ、遠慮しときます。アルコールより日本茶の方が好きなんで」

 英明は笑った。

 「健康的でいいね。何よりだ」

 裕也も照れくさそうに笑った。

 

 「英明君」一つ大きなため息をついて裕也が顔を上げた。「君に頼みがある」

 「はい」英明は思わず居住まいを正した。

 「突然変なことを言い出すようだが、あの子を、誠也を君の養子にしてくれないだろうか」

 「え?」

 「私はうつ病の治療をしていた時に出会ったカウンセラーの女性と昵懇になって、どうにか快癒した後に彼女と一緒に暮らし始めたんだ。これからも人生をその人と共に過ごしていこうと思っている。それで、もし、」

 裕也は緊張したようにごくりと唾を飲み込んで続けた。「誠也自身が再婚する意思を持っていないというのであれば、彼を君の息子として引き取ってはくれないだろうか。そうすれば、あの子も安心して暮らせると思うんだ。家庭の温かみを味わわせるためにも。もう40になろうとしている息子ではあるが……」

 英明は即答した。「いい考えだと思います。義兄さん。僕ら家族としてもその方がいい」

 「そうか、ありがたい……」

 裕也はほっとしたように眉尻を下げた。

 「私は彼に普通の幸せで穏やかな家庭を提供してやることができなかったことを心から悔やんでいる。だが今となっては私にはそれを実現させることなどできない。だから君に頼るしかないんだ」

 「ご心配なく。彼も賛成してくれます。きっと」

 「そうしてくれれば私はもう彼について何も心配することはない」裕也の目から溢れた涙が頬を伝ってテーブルに落ちた。「ありがとう。感謝するよ、英明君……」

 

 

 「というわけで、」前に座った健太郎と真雪に向かって真琴が言った。「養子になれば相続も扶養も親子としての権利を持つことができるわけでしょ? パパもお母さんとああいう関係になってたことでお父さんに少なからず負い目を感じてて、養子になることで経済的な助けができるから願ったりだ、って思ったらしい」

 「なるほど、罪滅ぼしってとこか……」

 「罪滅ぼしというより恩返しみたいなもんだね。それに、何より、」真琴はにやりとして続けた。「パパが家族になれば、重婚が認められてない日本で、お母さんが二人のパートナーを公に堂々と持てる。言わば逆ハーレム」

 「妙な言い方するな」

 真琴は笑いながら言った。「今までは人目を憚ってたお母さんとパパとのツーショットでのデートも、これから堂々とできるってわけよ。あー羨ましい」

 「マコちゃんだって誠也さんとはツーショットできるでしょ? 親子として」

 「表向きは兄妹だけどね」真琴はウィンクをした。

 

 「さあて」真琴は伸びをした。

 「というわけで、報告終わり。今後とも増岡家をよろしくお願いします」

 立ち上がった真琴は前に並んで座った真雪と健太郎にぺこりとおじぎをした。

 「ご家族を大切にね」

 「うん。わかってる」真琴は隣の椅子に置いていたバッグを肩に掛けた。「そうそう、真雪お姉ちゃん」

 「なに?」

 「アップルブランデーの生チョコ、もう出てる?」

 「先週から売り出してるよ。持って行く?」

 「うん」真琴は笑顔で元気良く答えた。「パパと二人で食べるから」

 「もうマコちゃんも大人になってるしね。美穂お母さんにはあげないの?」

 「あげない。たまにはパパを独り占めしたいよ。それにあたしだってそのうち……ふふふ」

 そして真琴は怪しげな笑みを浮かべた。

 「そのうち? 何だよ、またなにか企んでるな? おまえ」

 健太郎は残っていたコーヒーの最後の一口を飲んだ。

 「お母さんからパパを奪い返してエッチするの」

 

 ぶーっ!

 健太郎は派手にコーヒーを噴いた。

 

 「あたしもいつか愛するパパと一つに繋がり合って、お互いに身体を貪り合って、誠也、誠也って大声で呼びながら、」

 「もういい! いいかげんにしろ」

 健太郎はまた真っ赤になって叫んだ。

 

――the End

2017,5,27 Simpson

 

※本作品の著作権はS.Simpsonにあります。無断での転載、転用、複製を固く禁止します。

※Copyright © Secret Simpson 2012-2017 all rights reserved

 

父英明に甘える中学生の真琴

――あとがき

 

 長い話を書く時には、大まかなプロットをまず立てることから始めます。ああなって、こうなって、結局こうなる、という一本の幹のようなものです。それからいろんなエピソードを繋げて、登場人物のその時々の気持ちや心の動きを描きます。人の感情には波がありますから、平静を保っている時と昂奮している時とではその語り口も変わります。特に読者に対してここは思い切り感情移入してほしい、と思う所は力を入れて描きます。

 一通りの文章が完成した後が大変です。

 いわゆる『推敲』ってやつです。

 登場人物の話し方のクセ、例えば自分を何と呼ぶか。美穂、マユミ、真琴は「あたし」、エリは「私」。エリのクールでドライな性格からして「私」なんです。男性陣の場合、英明は「僕」で誠也は「俺」。これもそれぞれの性格に依るものです。

 ほかにも、英明と美穂とがまだそれほど近い関係ではない頃は、美穂は彼のことを「貴男」と呼ぶのに、結婚してからは「あなた」と表記が変わるとか、表情についても「悲しい」が適切なのか「切ない」と書くべきなのかといったような言葉ひとつひとつの使い方を吟味していきます。

 そのため、文章が「完成」してから「できあがり」までに相当時間がかかります。

 読んで下さる人が誤解しないように、登場人物の気持ちに寄り添えるように、そして幸せな読後感を味わって頂けるように、僕は毎回言葉を選んで綴っていくのです。

Simpson

誠也にプレゼントしたオーダーの下着を穿かせて

一緒に写真に写る高校生の真琴


《デザートは甘いリンゴで 写真集》