Twin's Story 外伝 "Hot Chocolate Time" 第3集 第2作

忘れ得ぬ夢~浅葱色の恋物語~

3.寂しさの行方


 朝晩はすっかり涼しくなった9月下旬のこと。私の所属しているクラスのスタッフによる宴会が企画された。日頃の労をねぎらうため、ということで、『緑風園』からバスで一時間ほどもかかる賑やかな街の居酒屋でその会は催された。

 細長いテーブルを囲み、8人のメンバーで賑やかに乾杯すると、すぐに日頃の鬱積を晴らすように明るい会話がそこここで聞こえ始めた。

 集ったメンバーはたんぽぽクラスに所属する全員。主任の神村を含め、男性4人、女性4人。スタッフはみんな若くてエネルギッシュだ。今年就職した私が一番年下で21歳。主任を除く最年長者は、ここに勤め始めて7年になるベテランで32歳の木村茜という独身女性。まじめで仕事に対しての熱意溢れるスタイルのいい、バストの大きな先輩だった。そのフレッシュな7人のスタッフを統率しているのが神村主任だった。そしてここに集ったスタッフの誰もが、この頼りがいのある主任を心から慕っていた。


「浅倉さん」

 不意に木村の声がした。彼女はビールが七分目ほど入ったグラスを手に持ち、私に差し出した。「飲んで」

「ありがとうございます。先輩」私は渡されたグラスからビールを一口だけ飲んだ。

 私の隣に座っていた同僚の男性は、すでに焼酎のお湯割りグラスを持って席を立ち、神村主任と談笑していた。木村はその空いた座布団に遠慮なくぺたんと座り込んだ。薄手のセーターの下に押さえ込まれた窮屈そうな膨らみがぷるんと震えた。

 彼女は口元に笑みを浮かべ、明るい声で私に話しかけた。「浅倉さん、いつもよく働いてくれて感謝してるわ」

「いえ、そんなこと……。先輩がいろいろご指導してくださるお陰です」

 ふふっ、と照れたように小さく笑って木村は顔を近づけ、声を落とした。「神村主任もあなたのことがお気に入りみたいよ」

 そして彼女はいたずらっぽくウィンクした。


 いつもまじめで仕事もてきぱきこなす先輩木村が仕事中にはあまり見せたことのないそのチャーミングな仕草を見て、私は今まで心の隅の方に残っていた緊張がほぐれていくような気がした。


「浅倉さんには、つき合ってる彼氏がいるんでしょ?」

 意表を突かれて、私は一瞬絶句した。

「あ、ごめんね、唐突だったわね」木村は眉尻を下げた。

「いえ……」私はアルバートの顔を、ひどく懐かしい思いで頭に思い浮かべた。「大阪にいる3つ上の人……です」

「外国人、よね?」

「え? どうしてそれを?」

 木村はピンク色の舌を小さくぺろりと出した。「あなたに届く手紙の差出人のとこ、見ちゃった」

 私は笑った。「そうか、それでわかりますよね」

「どうしていつも職場に届くの? 手紙」

「え、えっと……」私は言葉を濁して目をそらした。

 木村はにやりと笑って私の顔を覗き込んだ。「わかった。届いたらすぐにでも開封して読みたいからなのね?」

 私は困ったような顔で彼女を見た。「図星です」

 木村はあはは、と笑った。「何かとっても素敵ね。いずれは国際結婚ってわけ?」

「ま、まだそういう段階では……」私は顔を赤くしてうつむいた。


 木村は声を落として続けた。「離れて暮らしてて、寂しいわね。いつからつき合ってるの?」

「はい、わたしが短大に通い始めた年からなので、もう二年になります」

「彼も心配じゃない? あなたが遠くで働いていると。手紙も頻繁に届いてるみたいだし」

 私は少し顔を曇らせて、思わずうつむいた。

「……でも、この夏にも帰りましたし、年末にもまた会えますから」

「帰った時はずっと一緒にいるのね?」木村はまたいたずらっぽく口角を上げた。「帰った時は大切にするのよ、日頃会えない分まで」

「はい」私が少し無理をした笑顔でそう答えると、木村は席を立ち、他のスタッフの所へ移動した。


 木村に渡されたグラスを醤油瓶の横に置き直してふと顔を上げた時、いつの間にか一人になっていた神村主任と目が合った。彼は私に軽く手を上げていつもの微笑みを浮かべた。



 私は新しいグラスを持って神村の横に座った。

「神村主任、ビールでいいですか?」私はテーブルに並んだビール瓶を手に取った。

「うん」彼は自分のグラスに残っていたものを飲み干して私に差し出した。

 私はそのグラスにビールをついだが、半分ほど注いだところで瓶は空になってしまった。

「あ、ごめんなさい、ぬるいビール、ついじゃいました……」

 申し訳なく思い慌ててもう一本の瓶に手を掛けた私の手に軽く触れて、神村は言った。「平気です。気を遣わなくてもいいよ」


 私は彼の前にウィスキーグラスが置かれているのにその時気づいた。


「す、すみません、主任、もうビールじゃなかったんですね」

 彼はそのグラスを持ち上げ、氷の入った琥珀色の飲み物を目を細めて少しだけ飲んで、嬉しそうな目を私に向けた。

「大好きなんです、僕」

「ウィスキーがですか?」

「そう。いつもってわけじゃないけど、こうして気分がいい時にはいただく。たまに飲むからすごくおいしく感じるんだ。君も飲む?」

 神村は持っていたグラスを目の高さに持ち上げた。

「わたし、飲んだことないんです」

「ちょっと飲んでみてごらんよ、舐める程度でいいから」

 神村からそれを受け取った私は、おそるおそるそれを口に運び、唇を突き出してグラスを傾けた。

 中の氷がカランと音を立て、その拍子にけっこうな量のその琥珀色の飲み物が口の中に流れ込んだ。

 焼けるような苦みと痺れが口の中だけでなく頭頂部にまでいっぱいに広がり、私は思わずグラスを口から離してひどくむせかえった。

「おやおや! ごめんごめん」神村は慌てて私の手のグラスを受け取り、背中を軽くたたきながらひどく申し訳なさそうに言った。「無理して飲ませちゃいけなかったな」

 彼は恐縮しておろおろしていた。

 私は口元をハンカチで拭った。「す、すみません」


 神村は慌てて立ち上がり、テーブルの端に置かれていたロック用の氷に水割り用の水を注いだグラスを持ってきて私の目の前に置いた。そして座り直すと自分の首のネクタイに手を掛け、結び目を整えた。そして私の背中をそっと撫でながら言った。「ごめんね、大丈夫?」

「は、はい。大丈夫です。すみません、主任……」

 神村の手はブラウス越しにもその温かさを感じることができた。その柔らかな感触に、私の身体は図らずも僅かに熱くなっていた。もしかしたら、それは今飲んだウィスキーのせいだったのかもしれない。


 神村がわざわざ作って持ってきてくれた氷水の入ったグラスを両手で持って膝に乗せたまま、私は焼き鳥の串を手に取った神村に目を向けた。私の胸のあたりには、無防備に口に入れてしまったウィスキーの熱く不快な刺激が、まだもやもやとうずくまっていた。

 口の中に残った苦みが気になって、ごくりと唾を飲み込んだ後、私は少しハスキーな声で言った。「主任にはお子さん、いらっしゃるんですか?」

「え? ああ、いる。中学に上がったばかりの息子と小学生の娘。どっちも年頃で反抗期さ」

「じゃあわたし息子さんとの方が歳は近いですね」

「そうだね。君ぐらいの娘がいてもおかしくないね。僕ももうすぐ40だし」

 神村は焼き鳥を一切れ口でむしり取って、口をもぐもぐさせながら微笑んだ。

「いや、早すぎでしょう」私は言った。「わたしが主任の娘だったら、神村さんは18でパパになったってことですよ」

「そうか。それもそうだね」神村はおかしそうに笑った。

 私もつられて笑った。


「結婚したのは23の時」

「早かったんですね、それでも」

「早い方かな、確かに。妻は二つ下。だから今の君と同じ歳だね。前の前の職場で知り合った。でもなかなか子供はできなかったな。上の子は僕が27の時に生まれたんだ。結婚して4年目」

「お幸せそう」

 私がそう言った時、神村の表情が明らかに曇った。

「……そうでもないよ」


 神村はウィスキーを一口飲んだ。

「今、僕と妻とはほとんど夜の交渉はない。彼女は二人の子供のことにしか関心がない」

 神村の低い声に私は身体を固くした。

「なんか、家にいても僕だけ浮いた感じがしてね」

「そう……なんですか?」

 私は早くこの話題から離れたいと思い始めた。

「だからこの夏から僕は単身赴任」

「え? そうだったんですか?」

 神村の弁当が『おたふく弁当』に変わった理由が今解った。

「その方が気楽だから。今は職場まで車で10分程度のアパートに住んでる」

「主任のご自宅って隣町ですよね? 通勤には問題ない距離でしょう?」


「いたたまれない……っていうか」

 神村は少しうつむいてテーブルに戻したグラスの曇りをその長く白い指で何度も拭った。


 私は次の言葉を選びかねていた。すると、神村は不意に目を上げて言った。

「浅倉さんには彼氏がいるんでしょ?」

「えっ?!」

「そんな顔してる」神村は笑顔に戻っていた。

「そんな顔?」

「いるんでしょ?」彼は私の顔を覗き込んだ。

「は、はい。大阪に……」

 

「愛する人と離れてて寂しい、って顔、してる」

 

 私ははっとした。

 

 神村はそのまま何も言わずにまたグラスを口に運んだ。

 

 

「大丈夫かい?」

 神村はそう言って身をかがめ、私の顔を覗き込んだ。

「え? は、はい。大丈夫です」

「ちょっと足下がふらついてるよ」

 

 宴会が終わって、その居酒屋の暖簾を後にした私は、神村と並んでネオンのきらめく狭い路地を歩いていた。他のスタッフたちは、神村主任から渡された二次会費を大はしゃぎして受け取った後、すぐに賑やかな大通りに足を向けたので、店の前で私と彼の二人だけが取り残された格好だった。

 

 グレーのスーツを着た神村は私の横をゆっくりと、私の歩調に合わせて歩いてくれていた。彼は店を出た時からしきりにネクタイに手をかけ、何度も結び目を整えていた。

「僕が飲ませちゃったウィスキーのせい?」

「いえ。そんなことは……。大丈夫です。意識ははっきりしてます」

「そう?」神村は前を向いたまま、安心したように少しだけ笑った。

 

 自分の鼓動が耳のあたりで聞こえ始めた。

 

「神村さん、これからもう帰られるの?」

 神村はちらりと私の横顔を見て答えた。「どうしようかなあ……。終バスにはまだ時間があるけど……。まあ明日は休みだし、もう一軒ぐらい行ってもいいかな。シヅ子ちゃんは?」

 

 『シヅ子ちゃん』――私が神村照彦にそう呼ばれた初めての瞬間だった。

 

「……」私は恥ずかしげに顔を赤らめ、下を向いたまま歩き続けた。

「みんなとはつき合わないんだね」

「今日は、あんまりわいわい騒ぎたい気分じゃなくて……」

 神村は立ち止まった。

 

「僕と飲み直す?」

 彼の手がまたネクタイに触れた。

 

 私も立ち止まり、神村の顔に目を向けた。その男性は優しく微笑みながら私の視線を受け止めていた。

「いいんですか? 神村さん、昼間のお仕事でお疲れじゃありません?」

 神村は肩をすくめた。「平気だよ。今日はとっても気分がいい。ウィスキーがとってもうまかった」そしてふふっと笑った。

 

 私は再び歩き始めた。神村も並んで足を進めた。

 

「あ、」

 私は何もない所でよろめいて、思わず神村の右手にしがみついた。神村は驚いたように立ち止まって私の顔を見下ろした。

「大丈夫?」

「だ、大丈夫です。意識は……はっきりしてます」

 私は彼の腕から手を離してまた歩き始めた。

 

 あてもなく、ただその路地をまっすぐ歩いていた二人の周囲は、いつしか繁華から外れて薄暗くなっていた。

「神村さん……あの……」

 私がそう言った時だった。神村は不意に私の手を取り、身体を向けてきた。

 私の心臓はその鼓動を速くしていた。私は息を殺して神村の顔を見つめた。神村もいつになく真剣な顔で私を見つめ返し、両手を私の両肩に置いた。

 

 私は思わず「だめ……」と無声音で言った。しかし、それ以上の言葉をこの口が発することを神村の唇が阻んだ。


 気づいた時には、神村は身体を傾け、その唇を私のそれにそっと宛がって小さく擦り合わせていた。その大きな両手を私の肩に優しく置いたまま。


 柔らかく温かいその感触に、私の身体の奥に小さな火がともり、それは体中にどんどん燃え広がっていった。



 ベッドの横に立った私の背後から、神村は何も言わずゆっくりとその身体に腕を回した。そして優しくきゅっと抱いた。私の身体はすでにどうしようもなく熱くなっていた。

 しばらくして神村は耳元で囁いた。「シヅ子ちゃんの身体、とっても柔らかくて温かいね」

 身体を振り向かせて神村と向き合った私は、泣きそうな顔でその背の高い男性の顔を見上げた。

「思ってた通り」神村は微笑みながら両頬を包み込んでまた唇を重ねてきた。私の唇は少し震えていた。


 神村が口を離すと、私は焦ったように上着を脱ぎ、ブラウスのボタンに手を掛けた。すると神村は私のその手を押さえ、小さく首を横に振ると、小さな声で言った。「僕にやらせて」

 そしてその大きな手がゆっくりとブラウスのボタンを上から順に外し始めた。

「素敵な色のブラウスだね」神村はまた小さな声で言った。「控えめだけどきれいな浅葱色」

 この色には『浅葱色(あさぎいろ)』という名がついているのか、初めて知った。そんなことを考えながら、じっと立ったまま、私は自分の薄い着衣が彼の手によって脱がされていくのに身を任せていた。



 その淡い青緑色のブラウスがベッドの上にひらりと舞い降りた後、すぐに神村の手は私のスカートのホックを外した。それはするりと床に落ちた。彼はまた耳元で囁いた。「横におなり」


 私は大きなベッドに横になり、穿いていた黒いパンストを足から抜いた。その間に神村もスーツを脱ぎ去り、ネクタイを外し、シャツと肌着を手際よく脱ぎ去った。


 ベッドの上でランジェリー姿になった私の身体を見下ろしながら、自らも下着姿になった神村はまたひどく優しく微笑んだ「シヅ子ちゃん、きれいだよ」

 

 神村がベッドに横になった私に覆い被さるように四つん這いで身体を重ね合わせ、また唇を重ねてきた。

 私は目をぎゅっと閉じて夢中でその唇を吸った。それから何度も口を開いて、神村の温かな唇や舌の感触を味わった。神村もいつしかむさぼるように私の口を吸い、唇を舐め、舌を激しく出し入れして私のそれと絡ませていた。


 濃厚なキスのたびに、神村の吐息のかぐわしく甘い香りが私の口から体中に広がる気がした。それは彼の飲んでいたウィスキーの香りだった。宴会の時に私が直接口にした時の強烈な刺激とは全く違う、香ばしく芳醇なその香りに私はうっとりと酔いしれていた。

 神村はその行為を続けながら私の背中に腕を回し、ホックを外してするりとブラを腕から抜き取ると、大きく温かな手でふたつの膨らみを揉みしだき始めた。

 んんっ、と呻きながら私はさらに激しく神村の唇を求めた、二人の唾液が下になった私の頬を伝って流れ落ちた。

 私の身体は、もう燃え上がる程に熱くなっていた。重なり合い、脚を絡み合わせているその男性の身体も汗ばみ、熱く火照っていた。

 

 二人はその行為だけに没頭していた。私の心は、この上司への仕事中の信頼感や尊敬の気持ちなどではない、ただ熱い今のこの瞬間を味わっていたいという貪欲な身体の要求に翻弄されていた。そして大阪にいる恋人アルバートへの思いすらも、その時の私の中からはすっかり消え去っていたのだった。

 

 

 

 

 いつしか私の息は呼吸過多のように荒くなっていて、顔も赤く上気していた。

 口から離れた神村の舌が首筋から鎖骨を経て乳首に到達した。私は大きく身体を仰け反らせた。そしてその唇が私の乳首を咥え込み、温かな舌が何度もその粒を転がした。

 私は思わず手を神村の下着に伸ばし、焦ったようにウェストゴムに指を掛けた。神村は何も言わずその手をどかすと、膝立ちになって自らその最後の一枚を脱ぎ捨てた。

 

 私も焦ったように身体を起こして自分のショーツを脱ぎ去り彼と同じ姿で向き合った。


 神村は私の身体をぎゅっと抱いて再びベッドに横たえた。

「いい? シヅ子ちゃん」

 私は黙って頷いた。


 神村はゆっくりと私の両脚を広げ、熱を持ち大きく屹立したものを豊かに潤った谷間に宛がった。

 ああ、と私は喘ぎ、目を固く閉じた。





「いくよ」

 神村はそう言って、ゆっくりと身体を傾け、私に体重を掛けた。


 閉じられていた秘部が押し広げられ、熱く脈動しているそれは私の体内にゆっくりと入り始めた。

 ぞくぞくとした震えが全身を駆け巡り、私は瞳を潤ませて息を殺していた。うっすらと目を開けると、神村の顔もいつしか赤く上気していた。


「好きだ、シヅ子ちゃん」

 神村はそう小さく叫んで腰を動かし始めた。

「ああ……、わたしも」

 その汗に濡れた大きな背中に腕を回して、私も身体を波打たせ始めた。


――恋人がいるにも関わらず、妻子ある男性と身体を重ね合っている。


 その時私はその許されざる行為の現実を思い、なぜかますます身体を熱くしていた。愛する男性とは違う人が自分の中にいる。そしてその人といっしょに熱くなっていく……。それが道ならぬ行為だということは頭では判っていたが、燃えるような身体の熱さがその理性をとうに吹き飛ばしていた。


「神村さん!」

 私は叫んだ。すでに身体は最高に熱を帯び、炎を上げて激しく燃え上がるかと思うほどだった。

「シヅ子ちゃん! 好きだ、君が好きだっ!」

 神村も叫んだ。腰の動きがさらに大きくなり、私は自分の身体の中で暴れる硬く、しかしひどくなめらかなものをずっと身体の奥深くにつなぎ止めておきたいと強く思っていた。神村の体温、荒い息づかい、擦れ合う肌の感触、そして身体を揺する度に漏れる小さなうめき声にさえ、私はすっかり心奪われていた。


「ああ……も、もうダメ……わたし、わたしっ!」

 自分の中でめまぐるしく渦巻く興奮に、私はもうどうなってもいい、と思っていた。この身体の全てを、この男性に征服して欲しい、そう思っていた。





 不意に両目から涙が溢れ始めた。そして一瞬恋人アルバートの顔が目に浮かんだ。しかし次の瞬間、いきなりそれはかき消え、視界が真っ白になり、私は全身をぶるぶると痙攣させ始めた。「あああーっ!」

「シヅ子ちゃん! イ、イくっ! 出るっ!」

 神村も叫び、身体を硬直させた。

「来て! 神村さん、お願い!」

 私は思わずそう叫んでいた。


 私の最も敏感で熱を持っていた場所に激しく抜き差しされていたものが動きを止め、びくびくっ、と脈動し、ぐぐっと膨張したかに思えた。そして次の瞬間、神村の熱く沸騰した思いが、その体内から私の身体の奥深くに噴出し始めた。


 どくっ! どくどくっ!


 うううっ! と呻き、細かく身体を震わせながら神村は全身汗にまみれ、目を固く閉じ、苦しそうな表情で歯を食いしばっていた。

「あああーっ! 神村さん!」


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 ケネスはテーブルのアルバムに手を掛け、最初にシヅ子が見せた集合写真に視線を落とした。

「その神村っちゅうオトコはどれや?」

 シヅ子は唇を小さく噛んで数回瞬きをした後、小さな声で言った。「四列目の右端や。わたしの斜め後ろ」

 ケネスは黙ってその男性を凝視した。

「背の高いオトコやな」

 シヅ子はその言葉には何も返さなかった。


「おかあちゃんは、」ケネスが目を上げ静かに口を開いた。「なんでそないに欲求不満になってたんや?」

 シヅ子は小さく一つため息をついて答えた。「寂しかったんや。あの人に見抜かれてた通りな」

「つき合うてたおやじと離れとったことでか?」

 シヅ子は頷いた。「神村さんもそうやった、思うで。寂しい思いをしとる者同士が、たまらず求め合った、ちゅうことや」

「そんなん理由になるわけないやろ!」ケネスが大声を出した。「二年もつき合うてる親父がいてるのに、なんでそないに軽く他人に抱かれんのや! 親父への思いは本物やなかったんか!」

 シヅ子は背を丸めて申し訳なさそうに言った。「あんたが怒るのんも無理ないな」

 憮然としたケネスの横のマユミが努めて穏やかな口調で言った。「お義母さんは、それで寂しさが癒やされたんですか?」

 シヅ子は小さく首を横に振った。

「幸いなことに、その夜、あの人との行為の後は、やっぱり虚しい気分になっとった。思った通りな。最中はこの人ともうどうなってもええ、っちゅう気持ちになってたんやけど、興奮が冷めていくにつれ、ああ、わたしは何しとるんやろな、思い始めて、気が重うなっていったわ」

「当たり前や!」ケネスが身を乗り出して叫び、テーブルを拳で叩きつけた。「そないな行為に大満足しとったら、親父の立場はどないなるねん。面目丸つぶれや!」

 マユミは思わずケネスの背中にそっと手を置き小さく言った。「ケニー、もう昔のことだから……」

「何と言われてもしかたあれへん。わたしのやっとったことは、どう繕うても正当化できるもんやない。それはわかっとるし、あの時もわかっとった」

 ケネスは口を閉ざし険しい顔でコーヒーカップを口に運んだ。

 

 マユミが言った。「その夜のこと、誰にも知られなかったんですか?」

 シヅ子は自虐的な笑みを浮かべた。「すぐにあっちゃんにバレてもうた」

 ケネスがカップを持ったまま目を上げた。

 

「めっちゃ諫められたわ。真剣にな」

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