Twin's Story Chocolate Time 外伝 "Hot Chocolate Time" 第3集 第3話

 

海の香りとボタンダウンのシャツ


2.出会い系サイト

 シネコンの映画館入り口脇にあるコーヒーショップ『マリーズ・コーヒー』の店内でレジを打っていた美紀は、フードコート内のタピオカドリンクの店のカウンター席に肩を並べて座っているカップルに思わず目をやった。

「久宝君?」

 レジを済ませた客をドアまで見送った彼女は、もう一度、その二人をよく観察した。

「彼女、なんだ……。前の子と違うよね」

 

 美紀と洋輔は同じ『尚健体育大学』水泳部の先輩、後輩の関係。美紀の方が二学年上で、学生の頃は親友の兵藤ミカや、今はそのミカと結婚している洋輔の同級生海棠ケンジらと共に、洋輔の店『居酒屋久宝』によく飲みに行ったものだ。

 美紀は大学を卒業した後、地元の九州に帰りもせずこの街で一人暮らしをしていた。元々一人でいることが苦にならない性格でもあり、何より誰からも束縛されない気楽さが好きだった。

 

「稲垣さん」

 不意に背後から声がした。同僚のホールスタッフ、山下だった。美紀より2歳年下の小柄な女性だ。

「何?」美紀は振り向いた。

「またうちの店長やらかしたんですよ」

 カフェオレ色のエプロンで手を拭きながら、困った顔でその同僚は言った。

「やらかした?」

 山下はこくんと頷いた。「安藤君の電話番号、勝手にお客さんに教えちゃったんです」

「ええ?」美紀は険しい顔をした。「またそんなことしたの? 店長」

「私がテーブルの食器片付けてる時に、勝手にレジに立って、二人連れの女の人に」

「気づかなかったな、あたし……」

「いえ、」山下は顔の前で小さくひらひらと手を振った。「稲垣さんが豆業者さんと奥でやりとりしてる時でしたから」

「でもどうしてまた……知り合いだったのかな、その女の人たち」

 山下は首を振った。「彼目当てでよくこの店に来るお客さんらしいです。安藤君がバイト始めた半月前からすでに常連だったとか」

「そう……」

「安藤君と親しくなりたいんじゃないですか?」山下は肩をすくめた。

「確かに彼はイケメンだけどね」

「今日は彼、休みでしょ? いきなり知らない女の人から電話が掛かってきたらびっくりしますよね、きっと」

 美紀も困った顔をした。「そうだね。個人情報なんだから、店長ももうちょっと考えてくれないとね」

 

「でも、」山下は美紀の耳に口を寄せ、声を潜めた。「男の人なら知らない女の人からいきなりでも好意的な電話をもらったりしたら、嬉しいんじゃないですか?」

 美紀も小声で返した。「安藤君はどうなのかな……。そんな子?」

「彼女がいるって話は聞いたことないですけど、モテるとは思いますよ。結構親切だし」

「確かにね」美紀は笑った。

「そろそろマフィン焼く時間じゃない? 山下さん」

「あ、そうでした」山下はぺろりと舌を出して、そそくさと店内に戻っていった。

 

 

 その夜、ワンルームのマンションの部屋で木製のサラダボウルに盛った生野菜と、スライスしたバゲットにチーズを載せてトーストしたもので夕食を取っている時、テーブルに置いたケータイが鳴った。

「ミカじゃない。どうしたの? 急に」

『いやあ、一人でどうしてんのかと思ってさ』

 大学時代からの親友ミカは相変わらずの豪放磊落な口調だった。

「今、晩ご飯済ませたとこ」

『そう。ところであんた、まだ結婚とかしないの?』

「何よ、いきなり」

『いきなりじゃないだろ? あたしが電話する時は必ず訊くだろ?』

 美紀は呆れたようにため息をついた。「相手がいないからね。それがメインの話?」

『まあ、メインといやメインだね。変な虫があんたについてたらどうしよう、と思って。たまにこうして電話しとかないと、なんかね』

「ご心配なく」美紀は笑った。「スクール、流行ってる?」

『お陰さんでね。生徒もいっぱいで毎日忙しいったらありゃしない』

「あんたがスイミングスクールの経営者になるなんて夢にも思わなかったわよ」

『まあ、ケンジもあたしもその道一筋だったからね。前の経営者が気に入ってくれたのは実にラッキーだったよ』

「海棠君もあんたもナイスバディだしね。もしかして色仕掛けで生徒を引き込んでるんじゃない?」

『ケンジ目当てで入校してくる女子高生は確かに多い』

「妬けるでしょ?」

『別にい。ケンジ、あたしにぞっこんだから。今でも』

「はいはい、ごちそうさま」

 

 

 この春先にそのミカが美紀の部屋を約二年ぶりに訪ねてきた。その時、彼女はバスルームを開けた途端「ああ、美紀の匂いがする」と叫んだのを思い出す。

「シースパイス。MUSHの。あんたほんとに好きだね。ずっと愛用してるんだ。高校の時からって言ってたね」

「落ち着くのよ。この香り。広い海に包まれてるみたいで」

 美紀の部屋のバスルームにはその時も今もシースパイスの香りが充満していた。美紀が高校生の頃に出会って一目惚れしたMUSHの石けん『シースパイス』。

 

 ミカは美紀にとって気の置けない友人だった。大学に入学した時から、水泳サークルで最も気の合った同期生だった。その時も今も二人はお互いに心の内を何でも話すことができた。それにミカは美紀の些細な表情や態度、口調や行動で、その時何を考えているか勘付くことも少なからずあった。

 

 その晩、寝る前にミカがスウェット姿で歯磨きをしている時、テーブルに無造作に置かれたケータイについていたストラップに目がいった美紀は、タオルで口を拭きながら戻ってきたミカに言った。

「このストラップ、素敵ね」

 ケータイを取り上げ、『SWIMMER’S CAFE』と彫られたその短冊形の革のストラップを見せながら、ミカは言った。「うちと取引があるスイミング用品のショップなんだ」

「エルムタウンにもあるわよ。結構流行ってるみたい」

「お店の名前がおしゃれだよね」

「あれ、裏にも何か……」

 ミカはそれを裏返して見せた。そこにはK.K.とM.K.というイニシャルが並べて彫られている。

「あんたのイニシャルと、ケンジくんの、だよね?」美紀はにっこり笑った。

「サービスしてくれるっつーから彫ってもらったんだよ、店のマスターに」

「あんたがそんなにかわいらしいことする女だなんて思ってもいなかった」美紀は悪戯っぽく笑った。「でもいいなー、ラブラブで。ケンジ君、あんたを大事にしてくれてるんでしょ? 今も」

「彼のキスは最高なんだ」

「そんなこと訊いてないんだけど……」

「それにあたしのバストも太股も、身体中あちこち優しく撫でてくれてねー、それだけでもう夢心地なんだよ」

「まーうらやましい」

「あんたはまだ彼氏作んないの? 寂しくないの?」

「いいの。めんどくさい」

 ミカはにやりとして言った。「あたしが揉んでやろうか? その格好いいおっぱい」

「遠慮しとく。あたしにはそんなシュミはない」

 あははは、とミカは笑った。

 

「それにしても、」ミカが言った。「あんたなんでそんなだぶだぶでしわしわのシャツ着てんの? 男物じゃない」

「そうだけど」

「部屋着はいつもそれ?」

「そうだよ。メンズはゆったりしてて落ち着くの。それに綿だと肌触りもいいし」

「ボタンダウンの男物……。彼シャツってんならわかるけどね」

「人の勝手でしょ」

 美紀はテーブルに置いた紅茶のカップを持ち上げた。

 

 ミカが唐突に言った。

「近いうちにさ、同窓会やろうよ」

「同窓会?」

「大学ん時の部活の例のメンバーでさ」

「懐かしいね。いいかも」

「5月頃に設定すっから。日程調整、あたしがやっとく。場所はうちの近くでいい?」

「いいけど……みんなをすずかけ町に呼びつけるの?」

「いいじゃない、たまには。つまみが激うまの居酒屋があるんだよ『らっきょう』っつって」

「そうなの」

「あんたはあたしん家に泊まりなよ。久しぶりにさ」

 美紀はにっこり笑った。「龍くんおっきくなったよね。楽しみ」

「じゃあ決まりね」

 

 

 その時のミカとのやりとりを思い出しながら、美紀はシャワーでシャンプーを洗い流した。

「みんな結婚して、子ども作って……幸せな家庭、か……」

 シャワーを済ませた美紀はバスルームを出て、ドレッサーの大きな鏡に自分の裸身を写してみた。そして両の乳房をそっと手のひらで包みため息をついた。


 パジャマ代わりのメンズのボタンダウンシャツを羽織りながら、美紀は小さなテーブルの上に置いたノートパソコンを開いた。

 「やっぱり自分で動かなきゃ先に進まないよね」


 美紀は『ハッピーカップル』という出会い系サイトを見つけた。そのピンク色が全体に配色されたページの、『ようこそハッピーカップルへ』というボタンをクリックした。


「会員になって相手を見つけるんだ……」


 ペットボトルの緑茶を片手に、美紀は画面をスクロールしながらそこに書かれた案内文を読んでいった。

「へえ、女性は無料。『全てのサービスは無料でご利用頂けます』って……。なかなかお得じゃない。どこの出会い系もそうなのかな……」

 彼女はペットボトルを傍らに置いて、少し真剣な面持ちで会員登録のページを開いた。

「名前……って、本名じゃまずいよね、やっぱり」

 美紀はしばらく考えて自分のハンドルネームを『マキ』にした。それから性別、年齢、お相手の好みのタイプと年齢、趣味などを少しの誇張や偽りを織り交ぜながら入力していった。少し鼓動が速くなっていた。

「通知を受け取るメールアドレス……。いつも使ってるアドレスじゃいやだな……」

 美紀はそのサイトの案内ガイドに書いてあったヒントを読みながら、ウェブメールのアドレスを取得した。


「意外にめんどくさい……」美紀は少しいらいらしながら作業を続けた。

 それから、年齢認証のために健康保険証をケータイで撮影して、本名や住所にモザイクを掛けてサイトに送信した。すぐにたった今作ったばかりのアドレスに年齢確認のメールが送られてきた。

 美紀は思わず壁の時計を見た。10時を少し回ったところだった。

「すごい、ずっとメールチェックしてるスタッフがいるんだ、このサイト……。利用者が多いってことだよね」

 いきなり2件のメールが入ってきた。『ハッピーカップル』からのお知らせだった。


――貴女に興味を持たれた男性がいます。


「早っ!」美紀は思わずそう言ってサイトの会員ページを開いた。

 メッセージが二つ書き込まれていた。


『僕とエッチしませんか? 25歳○○町』


『プロフを見て興味を持ちました。返信を待ってます』


 美紀は眉をひそめた。

 そうやってメッセージを読んでいる間に、どんどんメッセージが増えていった。

「うわ、すごい! もうこんなに反応してる……」

 『ハッピーカップル』の『マキ』のマイページ、受信欄に並んだメッセージの大半はどう見ても欲求不満でエッチしたがっている男からのものだった。

「出会い系ってこんなもんだよね……」美紀は遠慮なくため息をついた。「でも男性会員って、無料じゃないから、みんなお金払ってるのかな……」

 経済的に負担をしてまで男というイキモノは女を求めたがるのか、と美紀は今さらながら男性のぎらぎらした欲望を見せつけられた気がした。


 美紀はその中でも、比較的冷静で落ち着いた感じのメッセージ文を書いてきた男性を選んで、そのプロフィールを見てみた。そしてやっぱり年上だよね、つき合うとしたら、と呟きながら三人の男性に返信してみることにした。文面は全部同じにした。『私に興味を持って頂いてありがとうございます。あなたのことを知りたいので、いろいろ教えて下さい』


 三人の男性。

 『一郎』。35歳。スポーツマンタイプ。身長175cm。細マッチョ。趣味、クライミング、釣り。

 『ヒロユキ』。40代。公務員。まじめなタイプ。早稲田大学出身。趣味、読書、音楽鑑賞、美術館巡り。

 『こうじ』。30代。趣味、水泳、マリンスポーツ。がっちり系。身長180cm。


「まあ、プロフィールに書いてあることが全部本当のことかどうかは疑わしいけど……」

 すぐに『一郎』から返事があった。

「早っ!」

 美紀はそのメッセージを開いた。


『会いたい。俺と甘い夜を過ごさない? 明日の夜8時でないと時間が空かないから。シネコンの前で紫色のジャケットを着て待ってる。絶対イかせる自信アリ。よろしく!』


「なにこれ……。エッチ目的ってのが見え見え。しかもあたしの仕事場のすぐ近くで待ち合わせなんかできるわけないよ。パスだな」美紀はすぐに返信した。


『あまりに急な展開で戸惑っています。ごめんなさい、今回はお断りします』


 そのメッセージを送信した後、ものの一分もたたないうちに『一郎』からメッセージが届いた。

『おまえもエッチしたくて会員になったんじゃないの? 俺なら100パー満足させられるんだけどな。ま、いっか。あーあ、ポイントを無駄にしちまった』


 美紀は低い声で呟いた。「最低……」


 後の二人『ヒロユキ』と『こうじ』は、メッセージの文も比較的穏やかだった。どちらの男性もしばらくメールのやりとりをしてお互いのことを知り合おう、というスタンスだったので、美紀も安心してメッセージのやりとりができると感じていた。


 『ヒロユキ』も『こうじ』もそうやってメッセージを送信する度におそらく持ちポイントを消費しているはずだったが、一人目の『一郎』のようにそれを惜しむような言い方をすることはなかった。そして数日の間、いくつかのやりとりをして、彼女はしだいにこの二人の男性と会ってみたいと思うようになっていた。つかみ所のないもやもやした不安に包まれながらも、美紀は自分の心の奥に結婚願望が確かにあることを認めざるを得なかった。

「お見合いと変わらないよね」

 美紀はペットボトルのお茶を飲みながら自分を納得させるように呟いた。


 美紀は自分の空いている時間帯を書いたメッセージの中に、こちらから連絡するので個人で使っているメールアドレスを教えてくれ、と書いた。相手がこの『ハッピーカップル』のメールを利用する度にポイントを消費することに気が引けていたからだった。ただ自分のケータイ番号はさすがにまだ教えたくなかった。彼女は二人の素性がもっと詳しく解るまでは、この出会いのためにわざわざ作ったウェブメールだけを利用しようと考えた。