Chocolate Time 外伝 第3集 第7話

そのチョコを食べ終わる頃には


《第1章》「その警察官、秋月 遼」  《第2章》「その秘密の出来事は」     《第3章》「そのチョコを食べ終わる頃には」   

第2章「その秘密の出来事は」 5

「秋月くんとの間にできた子供なんです」

 利恵はうつむいたまま静かに言った。

 ケネスは目を見開き絶句した。

 利恵は目にうっすらと涙を浮かべている。

「私、剛さんと結婚することを心に決めた時に、もう一つ決意したことがあるんです」

「も、もしかして、それが遼くんの子を宿すこと……」

 利恵は頷いた。

「剛さんのお父さんの正さんには妹さんがいて、このすずかけ町に住んでいることを知っていました。私は県北、篠原家は横浜の出なんですが、その妹さんはこの町の秋月家に嫁がれたんです」

「そやったんか……」

「ですからうちの主人の剛さんと秋月遼くんとはいとこ同士」

「なるほどな」

「秋月くんがその時高校生だったことと私が教育実習をしなければならなかったこと、その二つのことが私のもう一つの決意に繋がったんです」

「そうか、そやからわざわざ遼くんが通う高校に実習を頼み込んだっちゅうわけか」

「初めから彼を誘惑して、子供を宿してもらうつもりでした」

「離れて暮らしていたとはいえ一応親戚やからな、剛くんと遼くん」

「はい。せめてその血の繋がりは残したいと……それに剛さんと遼くんは顔がすごくよく似てるんです。そう思いませんか? ケニーさん」

 ケニーは小さく何度も頷いた。「言われてみれば、確かに……そやけどこの事実、剛くんは気づいてへんのか? まだ利恵さんから打ち明けてへんのやろ?」

「わかりません。詳しく調べれば遙生を妊娠した時期と、剛さんと最後に繋がり合った時期にずれがあることはわかります。もしかしたら遙生が自分の子ではないことを知っていて、それでも知らないそぶりを見せているだけかも知れません」

 ケネスは考え込んだ。

「ちょくちょく店に来る時に見とる限り、剛くんは遙生をめっちゃ可愛がっとるし、少なくとも親子の確執があるようには思われへんけど」

「はい。それはとてもありがたいことだと私も思います」

「そやけど、自分の息子が他人の子かも知れへん、って思てたら、いずれ先生にも不信感を抱くんとちゃうか?」

 利恵は頷いた。

「あり得ます」そして顔を上げ、ケネスをすがるような目で見た。「どうしたらいいでしょう……」

「遼くんにはずっと秘密にしておいてもええと思うけど、剛くんには……いずれは」

 ケネスは困った顔をして黙り込んだ。

 

 

 ケネスは三日ほど悩んだあげく、やはり利恵から聞いた事実――遙生が秋月 遼の子であること――を夫である剛に知らせる決心をした。

「やあ、ケニーさん。お邪魔します」

 逞しい胸板にはち切れんばかりのワイシャツを着て濃紺のネクタイをした篠原 剛は店に入るなり大声を出してケネスに近づいた。

「すまんな、わざわざ呼び出したりしてもうて」

「どうってことないです。今は歩くのが楽しくて仕方がないんです」

「まだ少し引きずってるようやな」

「完全に元通りにはならないかも知れませんね。歳もとってきたし」

「なに言うてんねん、まだ四十前やないか。まあ座ってんか」

「ありがとうございます」

 剛はその筋肉質の身体に似合わない可愛らしい笑顔でそう答え、壁際のテーブルに向かって座った。

「君に初めて会うたんは、いつやったかいな。もうずいぶん経つような気がすんねけど」

 剛は指を折りながら言った。「13年前ですかね」

「もうそんなになるんやな」

「この町に来た時からずっとお世話になっちゃって」

 剛は恐縮したように頭を掻いた。

「なんでいきなりこの店に来たんや? あの時」

「そりゃあ、シンチョコと言ったら町のランドマークって聞いたからです。それに、この店のマスター『ケネス・シンプソン』という人に訊けば、この町のことは全てわかる、って駅の案内所のおばちゃんが言ってましたから」

「その話は初耳やな。あの頃の駅の案内所のおばはん言うたら……ゆず子さんやな……まったくお節介なおばはんや」

 剛は笑いながらカップを口に運んだ。

 

 ケネスは本題をいつ、どういうタイミングで話そうかとずっと考えていた。

「こっちに秋月家がおるっちゅうことも関係あったんか? 転居の」

「ああ、叔母さんですね。まあ、親戚がいるってことも多少は……」

 口ごもった剛の様子を見て、出してはいけない話題だったか、とケネスは思った。

「引っ越すっちゅうことは剛くんの考えやったんか?」

「決断したのは俺です」

「利恵さんはあっちで教員試験は受けんかったんか?」

「利恵の実家がこの県の北部の田舎なので、転居の話、最初は利恵の方から。それに息子の遙生のことも考えて」

「それは正解やな。ケネスは胸を張った。ここK市の福祉のレベルは高いからな。子育てしやすい町っちゅう評判が高うて、児童福祉に関しても近隣の市町村の中でも群を抜く手厚さや。お陰で出生率も高いしな」

「はい、それが一番の理由でしたね」

「その福祉水準をキープして、充実させとる張本人やんか、剛くん」

「ありがとうございます。励みになります」

「今は何の仕事しとるんやったか?」

「地域活動部の地域福祉課長をやってます。もう五年になりますね」

「これからどんどん出世していくんやな。楽しみや。遙生も立派になりよったし」

「まだ中二ですよ。ひ弱なくせに剣道は続けてますけどね」

「剣道の素質があるんやろ、彼には」

 ケネスは言葉を切ってコーヒーカップを持ち上げ、上目遣いで剛を見た。

 剛は、そんなケネスの様子を見て、何かにひらめいたようににっこり笑った。

「わかった!」

 カップを持ったままケネスは手を止め、上目遣いで剛を見た。「え?」

「ケニーさんが俺を呼び出した理由がわかりましたよ」

「な、なんやの、急に」

「俺もこれ以上ごまかすの、めんどくさいので本題に入りましょうよ」

「な、何のこと言うてんのや?」

 ケネスは珍しく動揺し始めた。

「その息子の遙生のことでしょ?」剛はニヤニヤ笑っている。「すでに知ってますよ。何もかも」

「何もかも?」

「俺が遙生の本当の父親じゃないってこと」

 ケネスは思わず椅子から立ち上がった。「な、なんやて?」

「利恵がこの町に住む決心をしたのは、遙生の本当の父親が住んでいるから。今思えばそうだったんですよね」

「剛くん、し、知ってたんか……」

「すみません、期待を裏切っちゃって」

「なんや、とんだ取り越し苦労やったわ」

 ケネスは椅子に座り直して、コーヒーをすすった。

「今から三年前でしたっけか、俺はこっちの海晴さんに電話したんです」

「秋月の海晴ちゃんか?」

「そうです。遙生が生まれた日が、俺と利恵との最後の交わりからいくら計算しても符合しない。そのことに気づいたのが三年前。前の年に娘が生まれたのがきっかけでした」

「それで海晴ちゃんに?」

「はい。利恵が妊娠した時期と教育実習の時期が重なっているので」

「で、海晴ちゃんには何て訊いたんや?」

「利恵と一緒に教育実習で来ていた体育専攻の剣持という大学生を俺は真っ先に疑いました。それで彼が丁度職場体験学習の打ち合わせで事務所に来た時に、それとなく水を向けてみました」

「体験学習の打ち合わせ?」

「はい。彼は今、鈴掛南中の現役教師なんです」

「ほう、それで?」

「まあ、当然彼からそういう怪しい情報は一つも得られませんでした。無理もないですね、彼はシロなんだし」

「ま、そうやろな。ほんで?」

「でも俺はもう利恵を妊娠させたのはこいつに違いないと思い込んでいたので、実習の時の様子を他の誰かに訊くことにしたんです。だから海晴ちゃんに電話を」

「そやかて、海晴ちゃんは訊かれても何とも答えられへんやろ。すでに社会人だったわけやし」

「その通りです。ですから海晴ちゃんには当時その高校に通っていた彼女の弟にその時の様子を訊いてもらったんです。情報が何か掴めるんじゃないか、と思って」

「遼くんやな?」

「はい」

「そやけど、まさかそのいとこの遼くんが利恵先生を孕ませたとは思わなんだやろ」

「まったくです。でもね、そのことがほぼ間違いないとわかった時、俺はほっとしました。剣持さんがその相手じゃなかったことに」

「そうは言うても、剛くん以外のオトコが利恵さんを妊娠させたのは事実やんか」

「俺は利恵のその時の気持ちが理解できたんです。そして赦すことも」

「赦す?」

「彼女なりの考えた末の結論だったのでしょう。俺との子が産めないなら、せめて少しでも同じ血の流れている男性の子をもうけようと思ったんだと思います。怪我してすぐの俺が今のように歩けるようになるという確証はなかったわけだし」

「なるほどな……」

「最初は本当に俺も怪我する直前に授かった子だ、って信じてましたからね。よくよく調べてみないとそのへんの微妙な食い違いはわからないし」

 剛は笑った。

「まあ、人並みに歩けるようになったとは言え、今も生殖能力は完全に回復したとは言い難いですけどね」

「そうなんか? そやったら嬢ちゃんはよう授かったな」

「そうなんですよ。俺の精巣から取り出した僅かな精子を利恵の卵子に受精させて、母胎に戻すっていう手術。何度も失敗しましたけど、利恵は諦めませんでした」

「遙生が剛くんの子やないことへの罪悪感っちゅうか、後ろめたさがあったんやろうなあ……」

「おそらくそうでしょうね。俺はその時にはあまりそんなことを気にしちゃいませんでしたけどね」

「君と遙生は仲良しやからな、いつも」

「お陰さまで」

 剛は軽く頭を下げてカップを口に持っていった。

 

「遙生が遼くんの子やっちゅうことを君が知っとるってことは利恵さんは知らへんみたいやで」

「今夜、確かめます」

「そうか。それがええな。夫婦に秘密はない方がええからな、なるべく」

「なんです? その『なるべく』って」

「些細な秘密はあってもかめへんけど、って言いたかったんや。なんや、文句あんのんか?」

 ケネスは腕組みをして剛を睨んだ。

「ケニーさんが他の複数の女と不倫しているってことを奥様のマユミさんに秘密にしてるのかと思って」

「あほか。複数の女と不倫て、そないな無節操なことするかいな。なに根も葉もないこと言うとるんじゃ!」

 ケネスは真っ赤になって否定した。

「動揺の仕方が尋常じゃないですよ」剛はウィンクした。

「やかましわ」

 剛はそれまでで一番豪快に笑ってテーブルを立った。

 

 

 その晩、利恵と剛は寝室のベッドに並んで横になっていた。

「ごめんな、気づいてたのに今まで黙ってて」

「ううん、こっちこそ。って言うか、私のやったことは許されないことだよね。ごめんなさい、あなた、本当に」

 剛は利恵の髪を撫でながら言った。

「俺が君の立場だったとしても、きっと同じ判断をしたよ」

「でも、あなたと違う男性に抱かれて、子供までもうけちゃったのよ? ばれたら絶対離婚ものだ、って私ずっとびくびくしてた」

「そうか……」

 剛は切ない目を妻に向けた。

「結婚して娘が生まれるまでは、遙生は自分の子だって信じてた。そして海晴さんに電話して本当のことを確信した時からは、別の意味で安心できた。君の気持ちが痛いほどわかったから」

「そうなの? 嫉妬に狂ったりしなかったの?」

「苦しかったのは、もしや剣持さんが? と思い始めて海晴さんと話すまでの一ヶ月間だけだったね」

「そうなのね……」

「剣持さんがその相手だったら許さなかったかも知れない。でも遼くんなら」

「秋月くんだとどうして許せたの?」

「一番の理由は俺と同じ血が流れているから。それに彼とは小さい頃から知っているいとこ同士だし、その出来事の当時、まだ彼は未婚の高一だったわけだし」

「そんなものなのね……」

 利恵はそれでもひどく申し訳なさそうな顔をした。

「ただ……」

 剛は仰向けになって天井を見つめた。

「ずっと俺は君を抱いてやることができなかった。それはずっと俺の心を苦しめてた」

「剛さん……」

「だから、遼くんであろうとなかろうと、君のその火照った身体を慰めてくれる男性がいることには、俺は目をつぶらなきゃいけなかったのかも知れないな」

「え?」

 利恵ははっとして剛を横目で見た。

「こうして最終的に俺の元にいてくれるのであれば、たとえ君が誰かに抱かれても俺だけがそれを知らなければいいと思ってた」

 剛は利恵に身体を向けた。

「結婚して間もない頃、君には言っただろ? 家庭を壊さない、特に遙生に悪影響を与えない、本気にならない、俺に気づかれないという条件でなら、俺は君の浮気を認めるって」

「そう……だったわね」

「生殖能力を失っても俺を夫として認めてくれて、結婚してもずっと俺の世話をしてくれた。その上遙生にも愛情をたっぷり注いで育ててくれてる。誰にでもできることじゃない。だから君がただその身体を満足させるためだけだったら誰かに抱かれてもしかたない、と……」

 利恵は剛から目をそらして、小さな声で言った。

「大丈夫。あなた以外の人に抱かれることなんてないから。もう二度と。これからずっと……」

 利恵はそっと目を閉じ、剛の逞しい胸を撫でた。

 剛は利恵の身体をそっと抱き、長く穏やかなキスをした。

「あなた、抱いて……」

 利恵が耳元で囁くように言うと、剛はひどく切なげな目をして利恵の目を見つめた。「こんな俺の身体でも満足してくれるんだな」

「十分よ。ちゃんと硬くなるようになって、繋がり合うことができるようになったじゃない」利恵は悪戯っぽく笑い、剛の下着に手を掛けた。「回復力の超人的な体力のある男と結婚できて良かった」

「褒めてるのか?」

「当たり前でしょ」

 剛はまた利恵の唇を吸いながら、彼女のショーツに手を掛け、中の茂みにかくれた敏感な粒を指で挟み込んでさすり始めた。

 利恵はああ、と甘い声を上げて身をくねらせた。

 剛はぎこちない動きで下着を脱ぎ去ると、利恵にゆっくりとのしかかり、唇を重ね合わせてきた。利恵は貪るようにそれに応え、舌を絡み合わせ、背中に腕を回してその逞しい身体を抱きしめた。

 剛が口を離した時、利恵は泣きそうな顔で言った。

「お願い、私の中に来て、あなた」

 利恵はショーツを脚から抜いて両手を伸ばした。

「わかった」

 剛は膝立ちになり、利恵の脚を開かせた。そしてしばらく自分のものを手で握って刺激し、硬さを増してきたことを確認すると、それを焦ったように利恵の谷間にあてがい、ゆっくりと挿入させていった。

「ああ……」

 利恵は甘い喘ぎ声を上げた。

「あなた、一緒に、私と一緒に」

「利恵!」